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国民が法を知ることは為政者にとって必ずしも好ましいことではない。国民が自己の権利を主張し、また 為政者の理非を知りえることになるからである(十二表法参照)。このような観点から、古代にあっては、為政者は意図的に法の成文化(法典化、codify)を回避した。
しかし、国民の権利と言うものが意識されるにいたって、法は原則として成文法であるべきとの要請が強くなった。近現代にあっては、一般に、刑罰法規と租税法規はかならず成文法でなくてはならないとの原則が認められている(罪刑法定主義、租税法律主義の一内容)。