日本国憲法とは、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日より施行された日本国の憲法である。
制定までの経緯
太平洋戦争(大東亜戦争)中の1945年7月に、連合国軍は日本への戦争終結条件として、ポツダム宣言を発表。中に
- 民主主義の復活強化へむけて一切の障害を除去すること。
- 言論、宗教及び思想の自由ならびに基本的人権の尊重の確立。
が記載されていた。
日本は、1945年8月14日の御前会議によって、ポツダム宣言を受諾。
ポツダム宣言や、被占領国の法律を尊重することを定めたハーグ陸戦条約に即して連合国軍最高司令部 (GHQ) は、日本が大日本帝国憲法を改正するように要請した。
1945年10月4日、ダグラス・マッカーサーは、早くも近衞文麿に憲法改正などを示唆し、近衛も佐々木惣一博士、高木八尺博士、松本重治氏などとともに内大臣府御用掛としてGHQのアチソンと連絡を取りながら憲法草案の作成に着手した。しかし、マッカーサーは、アメリカ国内で近衞文麿が支那事変の責任者ではないかと言うことが取沙汰されたため、自分の政治的立場を考えて近衛を切捨て、11月1日に近衛の案とGHQとが関係ないと発表した。
その後も近衛らは作業をつづけ、11月12日に近衛案、 11月24日に佐々木案が発表されたが、11月24日にマッカーサーの指令で内大臣府が廃止されたため、近衛らの作業は打ち切りとなった。
これと並行して10月1日に組閣した幣原喜重郎もマッカーサーから憲法改正を指示されたため、閣議了解事項として内閣に憲法問題調査委員会を設置し、松本烝治国務相を委員長とした。委員は東大、東北大、九大の憲法担当教授など憲法に知識の深い者で組織された。
この松本委員会の宮沢俊義が取りまとめた草案は、マッカーサーヘの報告の前に毎日新聞に1946年2月1日にスクープされた。これを見てマッカーサーは、激怒して2月3日に総司令部民政局に命じて憲法草案を作成するよう指示した。作成した民生局長ホイットニー以下25人のうち、ホイットニーを含む4人が弁護士業務を経験していた。だが憲法学を専攻した者は一人もいなかった。
そして、いわゆるマッカーサー草案を提示した。
このマッカーサー草案に添った形で修正を行った内閣草案が完成。
その内閣草案が1946年8月24日に一部修正を経て衆議院で可決。
さらに1946年10月6日に貴族院でも可決され、1946年11月3日に日本国憲法として公布された。
主な内容
前文と11章103条からなり、
が三大原則とされる。
- 上諭
- 前文(第1項~第4項)
- 前文第2項 - 基本原理として平和主義を表明
- 前文第3項 - 基本原理として国際協調主義を表明
- 第一章 天皇 (第1条~第8条)
- 第二章 戦争の放棄 (第9条)
- 第三章 国民の権利及び義務 (第10条~第40条)
- 第11条 基本的人権
- 第12条 自由及び権利の保持義務と公共福祉性
- 第13条 個人の尊重と公共の福祉
- 第14条第1項 平等の原則
- 第18条 奴隷的拘束及び苦役の禁止
- 第19条 思想及び良心の自由
- 第20条 信教の自由
- 第23条 学問の自由
- 第25条 生存権及び国民生活の社会的向上に努める国の義務
- 第26条 教育を受ける権利と受けさせる義務
- 第27条 勤労の権利と義務、勤労条件及び児童酷使の禁止
- 第28条 勤労者の団結権及び団体行動権
- 日本国憲法第29条 財産権
- 第30条 納税の義務
- 第四章 国会 (第41条~第64条)
- 第五章 内閣 (第65条~第75条)
- 第六章 司法 (第76条~第82条)
- 第七章 財政 (第83条~第91条)
- 第八章 地方自治 (第92条~第95条)
- 第九章 改正 (第96条)
- 第十章 最高法規 (第97条~第99条)
- 第十一章 補則 (第100条~第103条)
関連事項
内容
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