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新撰組 四番隊組長で柔術師範。
文久三年五月には入隊している。壬生浪士組の時からの隊士である。
文久三年 八月十八日の政変では坊主頭に大薙刀を備え弁慶さながらの格好であったという。
慶応三年四月の組織再編で四番隊組長・柔術師範となった。 それからまもなく、松原は屯所の近くに愛人(自分が殺害した浪人の妻女)を囲っており、その件を 副長の土方歳三に厳しく咎められた。そこで、幹部としての責任を感じ自ら切腹。しかし、失敗に終わり(篠原泰之進がいち早く発見)疵を負った。一端は直り、平隊士に降格。自暴自棄に陥ったようだ。 それからしばらくして、疵が悪化し、それがもとで死に至った。