|
|
| Table of contents |
|
2 祭神 3 祭事 4 境内外社 5 文化財 6 名所・旧跡 7 年表 8 交通 9 外部リンク 10 関連項目 |
由緒
創建期
下野国の僧勝道上人(735-817)が前日光から更に奥地に修行場を求め、大谷川北岸に766年に現在の四本龍寺の前身の紫雲立寺を建て、続いて767年二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたのが始まりといわれる。この祠は現在の別宮となっている本宮神社であるという。その後、登頂を志し多くの失敗を重ねたあと、782年には二荒山(男体山)の頂上に到達することに成功し、頂上に奥宮を建て日光修験の基礎を築いた。その後、神仏習合の霊場として栄えることとなった。
社伝などでは勝道上人が起源と説明されるが、実際には太郎山神社周辺で古代の祭祀の痕跡をしめす遺跡が見つかっており、相当古くから聖地として信仰の対象になってきたことが分かる。
二荒山(ふたらやま)の名は、諸説あるが観音菩薩が住むとされる補陀洛山(ふだらくさん)が訛ったものといわれ、のちに空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたといわれる。空海はその訪れた際に女峯山の神を祀る滝尾神社を建てたという。また、円仁も日光を訪れたとされ、その際に現在輪王寺の本堂となっている三仏堂を建てたといい、この時に日光は天台宗となったという。その後、二荒山の神を本宮神社から少し離れた地に移して社殿を建て、本宮神社には新たに御子神である太郎山の神を祀った。「日光三所」はこのとき新たに建てた現在の本社と本宮神社、そして滝尾神社をさす。
戦国時代には、後北条氏に加担したため、豊臣秀吉に領地を没収され衰退した。
江戸以降
日光東照宮の地主神として徳川幕府から熱い崇敬をうけた。(スタブ)祭神
日光の三つの山の神を総称して二荒山大神と呼んでいる。三つの山とは、男体山(二荒山,2484m)、女峯山(2464m)、太郎山(2368m)の三山で、この山々は神体山いわゆる神奈備であり、名前からもわかる通り古くからこれらの神々は親子と考えられてきた。この日光の神々は「日光三山」「日光三所大権現」などと呼ばれ、古くから崇敬受けたようだが、その三神に現在の神が当てられたのは12世紀頃だと言われる。さらには本地垂迹説により、それぞれの神に仏が当てられ、輪王寺にはこれらの仏が祀られている。
祭事
境内外社
別宮
文化財
建築物
その他
名所・旧跡
年表
<>は関連事項
交通
外部リンク
関連項目