|
|
編纂
序文によれば、弘仁10年 (819年) 、嵯峨天皇が、藤原冬嗣、藤原緒嗣、藤原貞嗣、良岑安世に勅して編纂を命じた。未了のまま緒嗣を除く三人が死んだため、後に淳和天皇が詔して清原夏野、直世王、藤原吉野、小野岑守、坂上今継、島田清田に続行を命じた。仁明天皇の代になってさらに詔して藤原緒嗣、源常、藤原吉野、藤原良房、朝野鹿取に遂行を命じた。さらに後、布瑠高庭と山田古嗣を加え、承和7年12月9日にようやく完成を報告した。編纂までにかかった期間は21年間、三代の天皇にわたる事業にずっと携わったのは、藤原緒嗣一人であった。
内容
『続日本紀』の後をうけて、桓武天皇の治世の途中から淳和天皇の治世の終わりまでを記す。
全40巻のうち、現在まで伝わるものは、巻5、8、12、13、14、17、20、21、22、24、の10巻にとどまる。六国史等の抜粋版である『日本紀略』と、六国史の項目分類である『類聚国史』から内容を部分的に復元できる。逸文を収集したものに『日本逸史』『日本後紀逸文』がある。
内容には藤原緒嗣の意見がもっとも反映されたと言われる。天皇・廷臣の死亡記事に短い伝記(薨伝)を付けたことは『続日本紀』にならい、後続の史書と同じである。しかし本書の薨伝は、一方的・公式的な礼賛や非難に流れず、批判精神を堅持した点で、六国史の中では異色である。
参考文献