慶長五年(一六00)関が原の戦い後、徳川四天王のひとり本多忠勝が十万石で入る。 元和三年(一六一七)徳川家康の異父弟、松平定勝が入った。 宝永七年(一七一0)備後福山(広島県福山市)より松平忠雅が十万石で入る。 文政六年(一八二三)陸奥白河(福島県白河市)より松平定永が十一万石で入る。
幕末動乱の時期、藩主 松平定敬は京都所司代を務める。 鳥羽伏見の戦いでの惨敗後 無血開城し新政府軍に恭順した。 しかし、一部抗戦は江戸、会津、函館へと戊辰戦争を戦った。