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新撰組

新撰組 (しんせんぐみ 新選組とも表記)は、幕末に、 京都の治安維持を目的に結成された警備隊。 将軍徳川家茂の上洛に際して、その露払いとして京都の治安を維持するために結成された 壬生浪士組(みぶろうしぐみ 庄内藩脱藩清河八郎の提案による)が その前身である。清河八郎が幕府を裏切り浪士をまとめて京を去るが、近藤勇土方歳三等は京都に残った。当初は佐幕攘夷の断行を目的とした。

文久三年(1863年)三月の結成から、 京都守護職松平容保の指揮の下、 慶応四年(1868年)一月の鳥羽伏見の戦い敗戦までの 約5年間、主に尊皇攘夷勤王倒幕)を唱える過激派らの取り締まりにあたった。
特に元治元年(1864年)六月五日の池田屋事件は有名。その後、慶応三年には幕臣旗本に取り立てられる。

鳥羽伏見の敗戦の後は、敗退を続ける幕府軍に同行。さらに幕府軍と別れ、 蝦夷共和国の成立を目指す榎本武揚らに合流。 最終的に函館の五稜郭において官軍に降伏、解散となる。

袖口を山形に白く染め抜いた浅葱色(薄い水色)の羽織を着用していたとして有名で、 映画などでは隊士はほとんどこの姿で表される。 しかし、実際には最初の一年ほどで廃止されたらしく、池田屋事件の時に着用していたとする証言が 最後の記録である。
作ったのは大丸呉服屋(現在の大丸)。一説では、大丸呉服店では無く「呉服問屋・菱屋」と言う話もある。

Table of contents
1 鳥羽伏見の戦いの前に死んだ隊士の人数
2 局中法度
3 歴代局長
4 主な新撰組員
5 新撰組を題材にした作品

鳥羽伏見の戦いの前に死んだ隊士の人数

  • 新撰組に粛清された隊士 41人
  • 戦死した隊士 7人

局中法度

子母沢寛の著書『新選組始末記』で紹介されて以来、有名となった新撰組の規則である。
しかし、同時代史料にはこれを全て記録した物はなく、実在を疑う声もある。

一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可
一、私ノ闘争ヲ不許
右条々相背候者切腹申付ベク候也

歴代局長

主な新撰組員

新撰組を題材にした作品





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