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柴田 勝家(しばた かついえ 152?年 - 1583年)は、安土桃山時代の武将。尾張国出身で、織田信秀の家臣。信秀死後、後を継いだ織田信長に反抗して弟の信勝(信行)をたてようとして失敗するが、許されて信長の配下に入り、近江侵攻などに活躍する。
1575年、朝倉氏滅亡後越前を支配していた一向一揆平定に功績を立て、越前国北ノ庄(現在の福井市)を与えられ、前田利家・佐々成政らを付属されて北陸地方の平定を任される。手取川で上杉謙信に敗れたものの、謙信死後は1580年までに加賀一向一揆を制圧し、さらに能登・越中に進出した。
1582年、上杉氏方の越中国魚津城(富山県魚津市)を攻囲中に本能寺の変があったが、上杉景勝の反撃を恐れて京都に向かうことができなかった。
その後の織田氏の後継者問題で信長の三男織田信孝を推して羽柴秀吉(豊臣秀吉)と対立。1583年、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、北ノ庄にて妻お市(信長の妹)とともに自害した。