|
|
1507年、父信縄の死去により家督を継ぐと、対立していた叔父の信恵を滅ぼし、父の時代から続いていた甲斐武田氏の内紛を終結させた。1519年、それまでの甲斐武田氏の本拠地であった石和から、現在の甲府にあたる躑躅ヶ崎館に移った。
その一方で有力国人の小山田氏などと結んで甲斐の国内を固め、1521年、駿河の今川氏配下の福島正成の侵攻を退ける。以後、今川氏や、相模の後北条氏、信濃の諏訪氏ら周辺の諸大名と連年戦った。1537年には長女(信玄の姉)を駿河の今川義元に嫁がせ今川氏と和睦。さらに諏訪氏とも和して信濃の小県郡に進出するが、嫡子晴信(のちの信玄)と対立し、1541年駿河に追放された。
信玄の死後になって武田領に戻り、1574年信濃で没した。