|
|
伝統的に27文書すべてがイエスの直弟子およびそれに相当する地位にある者(使徒)の著述であり、遅いものでも1世紀末の作とされてきた。しかし現代の新約聖書学ではその伝承のほとんどが否定され、諸文書の執筆の年代は、紀元50年頃から2世紀前半と類推される。
「新約」の呼称は、「旧約」に対して、神との新しい契約であることを意味し、2世紀から呼び習わされ始めた。全27文書が正典と確定されるのは、古代末期であり、それまでには新約の範囲をめぐる論争があった。この確定に到る論争を正典化という。新約正典に含まれなかった文書を新約外典・新約偽典と呼ぶ。新約の範囲は、旧約とは異なり、キリスト教全体において共通である。
イエスやエルサレム教会の用いた言語はアラム語であったが、新約聖書の諸文書がギリシア語で書かれていることは、この文書群の性格を示唆している。後述するように、各文書が幾つかの異なる派・教団内で書かれ、また正典を決定する際、その基準が極めて曖昧であったため、新約聖書は統一された一つの思想に収斂しているわけではなく、(ある場合にはほとんど深刻なほど)お互いに齟齬・矛盾がある。
ギリシア語の定本としては長くテクスト・レセプトゥスが用いられたが、現在は新約聖書学の進展により歴史的意義以上のものをもたない。現在学術的にもっとも信頼がおける定本は通称ネストレ、ドイツ聖書協会発行の校訂版ギリシア語新約聖書である。
| Table of contents |
|
2 構成 3 外典 4 文書一覧 5 関連記事 6 参考文献 7 外部リンク |
イエス自身が書いたものを残しておらず、またそういうものが存在したという記録もない。イエスが文盲であった可能性もあるが、福音書に伝承されるイエス像はイエスがヘブライ語を読むことが出来たことを示唆する。当時のユダヤ社会では、情報は文字媒体より、口頭で伝えられる方が価値があると考えられていた。イエス自身や、または彼の弟子たちも、直接人々の前に立ち、自らの口で伝えることを活動の基礎においていたことが福音書から窺える。またさらに、イエスは形骸化した律法主義を批判していたのだから、形式主義に傾き易い文字というものに対して、そもそも否定的であった可能性がある。
エルサレム教会でもこの事は引き継がれ(恐らく情報の独占という意味もあって)、彼らはほとんど執筆活動を行わなかったようである。エルサレムのみでなく、アラム語圏にもキリスト教会は存在したにもかかわらず、アラム語の文書は今日には伝わっていない。
新約中、最も執筆時期の早いと考えられているのが、パウロの第1テサロニケ書で、これが50年頃と推定されている。パウロにとって書簡というのは、当地にどうしても行けない時のやむを得ない手段であって、彼の主な活動はイエスと同様に、直接赴き、直接語りかけることだったという事実は押さえておく必要がある。パウロ自身、「文字は殺す」(※)と言っている(第2コリント書 3:6)。
※キリスト教徒の理解では、「文字は殺す」は 人を裁くために律法を用いる場合における律法のこと
最初の福音書であるマルコ伝は、パウロとほぼ同時代の成立である(パウロより早い可能性もある)。マルコ伝を執筆した人間の属していた集団(ヘレニスト)は、エルサレム教団のイエスの情報を独占していた直弟子たちに対し、イエスの言行を伝える文書を作成することにより、彼や彼らの持つ情報の価値を相対化した。
ユダヤ戦争(紀元66年~70年)の混乱が収拾し始めた頃に、ギリシア語話者の間で、多くの文書が続々と成立し始めた。そのことは、イエスの直接の弟子がみな地上から消え、彼らが伝えたイエスの記憶を成文化することでどうにか留めようとした、という事情もあるが、それだけでは例えばパウロに擬した書簡群のような偽書の存在を説明しきれない。いま一つの理由は、権威に名を借りて文字に起こし、自らの主張を正当化、または権威付けることにあったと考えられる。
マルコ伝以後、マタイ伝、ルカ伝、ヨハネ伝、そして今日では外典となっている諸福音書が成立した。マタイ伝やルカ伝の作者がマルコ伝を、ヨハネ伝の作者がマルコ伝とルカ伝を知っていたように、マルコ伝以外作者は、自分に先行する福音書の存在を知っていた。それにもかかわらず、新たに福音書が執筆されたというのは、それぞれがそれ以前の福音書には必ずしも満足できなかったからであり、またその時代には、先行する福音書が、まだ手を加えることの許されないほどの絶対的権威を持っていなかったことをも示している。
全体は、「福音」の部(四福音書)と「使徒」の部(使徒言行録、書簡群、ヨハネ黙示録)の2部で構成され、これは旧約の「律法」と「預言者」の2部構成に倣ったものと思われる。
最初に来るのが福音書である。福音書は、イエスの言行を報告するという形式をとった文書のことで、新約聖書には4つの福音書が収められている。今日では、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書という配列が主流だが、歴史的に不動であったわけではない。
次に「使徒言行録」(伝統的呼称は使徒行伝)が来る。これは本来ルカ福音書の続きだったもので、四福音書とあわせて、歴史書として扱われる。
次に、計20書の書簡群。最初にパウロによる13の書簡(パウロ書簡)が来る。今日、ローマ書、第1・第2コリント書、ガラテヤ書、ピリピ書、第1テサロニケ書、ピレモン書の計7書がパウロの真正の書簡と考えられているが、異論もある。残りの6書は偽作で、第2パウロ書簡群とも呼ばれる。第1・第2テモテ書とテトス書は牧会書簡と呼ばれる。ヘブライ書は署名が無いため、さまざまな帰属があるが、パウロ書簡に含める場合もある。ほかに他の使徒の書簡があり、これら(ヤコブ書、第1・第2ペトロ書、第1・第2・第3ヨハネ書、ユダ書)は公同(公会)書簡と呼ばれる。いずれも今日では偽作とされる。
書簡の配列は東西教会で異なり、西方では使徒言行録の後にパウロ書簡・牧会書簡ほかのパウロ書簡・公同書簡の順でおくが、東方では使徒行録の後に公同書簡・パウロ書簡(牧会書簡・ヘブライ書を含む)をおく。
最後に黙示文学である「ヨハネの黙示録」が置かれる。成立過程
新約文書以前
新約文書の成立
新約文書の正典化
新約文書の正典化は、教会によって異なっていた。
例えば、アレクサンドリア学派の創始者オリゲネスは、「ヘルマスの牧者」や「バルナバスの手紙」など、現在正典に認められていない書物を正典扱いしていた。
また、グノーシス主義による異端的な書物の出現、マルキオン派の独自聖書の制定が問題となる。現在の新約正典の確立は397年のカルタゴ地方会議が最初である。しかし、東方正教会において現在の新約正典の確定(とくにヨハネ黙示録が正典として認められるまで)がされるには10世紀ごろになる。構成
| 口語訳 | 文語訳 | 英語
|
|---|---|---|
| マタイによる福音書 | マタイ傳福音書 | Matthew |
| マルコによる福音書 | マルコ傳福音書 | Mark |
| ルカによる福音書 | ルカ傳福音書 | Luke |
| ヨハネによる福音書 | ヨハネ傳福音書 | John |
| 使徒行伝 | 使徒行傳 | Acts |
| ローマ人への手紙 | ロマ人への書 | Romans |
| コリント人への第一の手紙 | コリント人への前の書 | 1 Corinthians |
| コリント人への第二の手紙 | コリント人への後の書 | 2 Corinthians |
| ガラテヤ人への手紙 | ガラテヤ人への書 | Galatians |
| エペソ人への手紙 | エペソ人への書 | Ephesians |
| ピリピ人への手紙 | ピリピ人への書 | Philippians |
| コロサイ人への手紙 | コロサイ人への書 | Colossians |
| テサロニケ人への第一の手紙 | テサロニケ人への前の書 | 1 Thessalonians |
| テサロニケ人への第二の手紙 | テサロニケ人への後の書 | 2 Thessalonian |
| テモテへの第一の手紙 | テモテ人への前の書 | 1 Timothy |
| テモテへの第二の手紙 | テモテ人への後の書 | 2 Timothy |
| テトスへの手紙 | テトスへの書 | Titus |
| ピレモンへの手紙 | ピレモンへの書 | Philemon |
| ヘブル人への手紙 | ヘブル人への書 | Hebrews |
| ヤコブの手紙 | ヤコブへの書 | James |
| ペテロ第一の手紙 | ペテロの前の書 | 1 Peter |
| ペテロ第二の手紙 | ペテロの後の書 | 2 Peter |
| ヨハネ第一の手紙 | ヨハネの第一の書 | 1 John |
| ヨハネ第二の手紙 | ヨハネの第二の書 | 2 John |
| ヨハネ第三の手紙 | ヨハネの第三の書 | 3 John |
| ユダの手紙 | ユダの書 | Jude |
| ヨハネの黙示録 | ヨハネの默示録 | Revelation
|
(表記は「ヘブライ書」を除いて、口語訳に従う。括弧内は略称)