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日本軍(にほんぐん)とは、第二次世界大戦で敗戦するまで日本が保持していた軍隊(旧日本軍)のこと。戦後の日本では専守防衛のための実力として自衛隊がこれが該当するが、軍事力の保持を禁じた憲法第9条との法的整合性が一貫して論議の的となっており、日本政府は「自衛隊は軍隊ではない」と主張している。
詳しくは自衛隊の項目を見よ。
旧日本軍には、陸軍(大日本帝国陸軍)と海軍(大日本帝国海軍)があり、それぞれ陸軍省、海軍省が所轄官庁であった。現代の軍隊には空軍(自衛隊では航空自衛隊)があるが、旧日本軍には空軍はなく、陸海軍がそれぞれ航空隊を保有していた。
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2 旧日本軍関連年表 |
設立当初は鎮台制と呼ばれる組織体系のもと、佐賀の乱や西南戦争など内乱鎮圧を主たる任務とした。徴兵制度の施行に伴い国民軍としての体裁を整えていった。その後陸軍は師団制に移行。海外において外国軍隊との戦争を行いうる軍制に移行した。設立の基礎が明治維新時の薩長軍であったために永らく藩閥支配が払拭できず、陸軍では長州藩、海軍では薩摩藩の出身者が要職を固めた。
しかし、もともと軍部は憲法よりもむしろそれに先行して1882年に制定された軍人勅論を思想的基盤としており、憲法はからなずしも軍部にとって絶対的な法とはならなかった。大正、昭和期に入ると陸軍参謀本部・海軍軍令部が軍部の頂点としての機能を強めるようになる。
日清戦争、日露戦争を経て大正・昭和期に入るとこの統帥権の独立が次第に政治問題化した。(統帥権干犯問題)満州事変や日中戦争では軍部が政府の方針を無視して戦争を拡大し、それを政府が追認するという事態が生じた。また、昭和期に入って軍部大臣現役武官制が復活したことによって、軍部が陸海軍大臣を推薦しなければ内閣が組織できなくなった。
このように法的な基盤から見た日本軍は必ずしも安定した軍事組織ではなかった。
旧日本軍史
創設の経緯
明治新政府は、薩摩藩、長州藩を中心とした倒幕軍によって江戸幕府を倒したが、直属の軍隊を持たなかった。新政府は明治4年2月、天皇の御親衛を名目に薩摩、長州、土佐藩の兵からなる10,000名の軍隊を創設し、廃藩置県を行うための軍事的実力を確保した。これが日本軍の発祥である。法的基盤
1889年に制定された明治憲法においては陸海軍は陸軍大臣、海軍大臣の輔弼(ほひつ)責任のもと政府と陸軍省・海軍省の統制下にあると規定されていた。ところが、大日本帝国憲法11条の条文にある「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という文言が統帥権の独立を保証したものとする憲法解釈が次第に行われるようになる。実際のところ明治憲法においては統帥大権も統治大権と同じく大臣の補弼責任の下にあり、決して統帥大権の独立を保証するものではない。旧日本軍関連年表
明治期
大正期
昭和期
自衛隊史については自衛隊を参照のこと。