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源頼朝(みなもとのよりとも、1147年-1199年)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将・政治家で、鎌倉幕府の初代将軍。義朝(よしとも)の三男。妻は北条時政の娘政子。神号は白旗大明神\。
平治の乱で平家に捕らえられ一時は死罪と決まるが、平清盛の継母池禅尼の助命嘆願により、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に流された。1180年、以仁王の令旨を受けて平氏に対して挙兵。関東を平定して鎌倉に本拠を構え、弟の範頼・義経(よしつね)を指揮官として派遣し、1185年には壇ノ浦に平氏を滅ぼした。同年義経との対立が生じると、逃亡した義経の捜索を名目として朝廷に守護・地頭の設置を認めさせ、1192年には征夷大将軍に任じられて幕府を開いた。これにより、武家政治が始まり、政治の実権が朝廷から武士に移っていった。1199年、落馬が原因で患い、死去した。
墓所・霊廟
墓所は、大倉山の中腹にある。もと頼朝の持仏堂で、のち法華堂と呼ばれた。法華堂は廃れ五輪塔が建てられ、現在は江戸時代に第24代薩摩藩主島津重豪が建てた石層塔が残っている。国指定史跡。江戸時代には墓の近くに法華堂が建てられたが、廃仏毀釈で壊され、その跡に頼朝を祀る白旗神社が1872年に建てられた。
鶴岡八幡宮境内にも白旗神社があり、政子が朝廷より白旗大明神の神号を賜り1200年創建したと伝える。源頼家の創建とも言う。1888年、現在地に遷座。 日光東照宮の相殿にも明治になり祀られている。
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