24歳の時、お茶の水で裸一貫「水売り」から出発する。コークス、コールタールの廃物利用で儲け、浅野セメントの設立をきっかけに浅野造船所(後の日本鋼管、現JFE)など多数の会社を設立。渋沢栄一や安田善次郎の協力のもと、一代で浅野財閥を築く。京浜工業地帯の発展に寄与する。「明治期のセメント王」と呼ばれる。
京浜工業地帯の埋立地に鶴見臨港鉄道(鶴見線の前身)を設立し、浅野駅にその名を残す。終点の扇町駅も浅野家の家紋の扇に因むものである。