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やまと)とは、古代から中世にかけて中国の各王朝から日本を指す際に用いられた呼称である。 古代中国では、日本列島に住んでいた人々を倭人と呼び、そこに形成された国々を総称して倭国と呼んでいた。中でも、4世紀以降たびたび中国史上に姿を見せる王制国家を指して、特にと呼ぶことが一般的である。

古代の倭

倭人といえば、弥生時代人のことだとする固定された考えが根強い。しかし、ある時期からの縄文人を中国人たちは倭人と呼び出したとみられる。
古代の中国史上に姿を見せる倭人の国家「倭」については、
1世紀奴国3世紀邪馬台国よりも後の時代においては、広く関東から北九州までを支配した大和朝廷の国家のことを指すと考えられている。
「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国となり、歳時を以て来たり、献見すという」(『漢書』地理志)
「楽浪」は、漢の武帝が紀元前108年に朝鮮半島へ設置した四郡の一つである。この記事は紀元前後の倭が百余国に分かれていたことを書いている。中国人の目には、倭という列島があり、そこには「国」といえる地域があると映っている。紀元前から倭には地域国家・独立国家があったのである。

大和朝廷の国家を「倭」と呼ぶことは、7世紀末から8世紀初頭に大和朝廷が国号を「日本」と改める時点までに対して用いられる。
ただし、大和朝廷の記録とされる日本書紀などには中国側史料に見られる「倭の五王」に相当する記述がないことなどから、中国と交流していた「倭」そのものは大和朝廷とは別の北九州の勢力であったとする説もある。
また大和朝廷説の中にも、応神王朝説と絡めた北九州勢力説や、大和朝廷が国号を「日本」としたのはそれまでの「倭」としての支配体制との間に断絶や政権交代があったとする説、などがある。(ただしこれらは異説の域を出てはいない)

古くは「倭」と書いて日本の国家を指す「やまと」と読ませたこと、後に「大和」という表現へ置き換えられたこと(倭→和への置き換え、「委」から来る意味を国号としてふさわしくないとして同じ音の字に換えたとする説)などから、倭国や倭人自身も、自分たちのことを「倭」と認識していた可能性がある。

中世の倭

その後中世から近世にかけても、中国から日本民族を指す場合には「倭」と呼ぶことがあった。倭寇(和冦)などを参照のこと。

この場合、琉球台湾などを含め「中国から東の海を隔てた土地から来る人々」を総称する、漠然とした呼称でもあったようである。





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