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「天」と訳されているヘブライ語のシャーマイム(常に複数形)には、基本的に、高いもの、高大なものという意味があるようである。(詩 103:11; 箴 25:3; イザ 55:9)天に相当するギリシャ語(ウーラノス)の語源は定かではない。
| Table of contents |
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2 地球の大気圏としての天 3 宇宙空間 4 「中天」と「天の果て」 5 雲のかかった空 6 「天の天」 7 霊的な天 8 第三の天 |
原語には、物質の天の全領域が包含されている。大抵は文脈から、物質の天のどの領域のことが言われているかを見定めるための十分な情報が得られる。
「天」という語は地球の大気圏の全領域を指すことがある。そこは、露や霜ができ(創 27:28; ヨブ 38:29)、鳥が飛び(申 4:17; 箴 30:19; マタ 6:26)、風が吹き(詩 78:26)、稲妻がひらめき(ルカ 17:24)、雲が浮かび、雨や雪や雹の石を降らせる領域です。(ヨシュ 10:11; 王一 18:45; イザ 55:10; 使徒 14:17)「空」、すなわち地球上にアーチ状に広がっているドームもしくは丸天井のように見えるものを指す場合もある。―マタ 16:1‐3; 使徒 1:10,11。
大気のあるこの領域はおおむね、創世記 1章6‐8節に描かれている、創造の第2期に形造られた「大空[ヘブライ語,ラーキーア]」に相当する。「天と地」の創造について述べた創世記 2章4節、出エジプト記 20章11節、31章17節が言及しているのは、この「天」のようである。
大気のあるこの大空が形造られた時、地表の水と大空の上方の他の水とが分けられた。このことは、ノアの時代の全地球的な大洪水に関して、「広大な水の深みのすべての泉が破られ、天の水門が開かれた」という表現が用いられた理由の説明となる。(創世記 7:11。箴言 8:27,28と比較。)大洪水の際、大空の上に浮かんでいた水は、何らかの水路が開かれたかのように、雨となって落下したものと思われる。この巨大な貯水池が空になった時、そのような「天の水門」は事実上「ふさがれ」た。―創世記 8:2。
物質の「天」は地球の大気圏から、太陽、月、星、星座などのさまざまな天体、つまり「天の全軍」のある宇宙空間にまで広がっている。(申 4:19; イザ 13:10; コリ一 15:40,41; ヘブ 11:12)聖書の冒頭の節は、人間の住みかとして地球が形造られるようになる前に、星の輝くそうした天が創造されたことを述べている。(創 1:1)この天は神の「指」の業であり、大気圏の大空と同じように、神の栄光を表し示す。(詩 8:3; 19:1‐6)そのようなすべての天体を制御しているのは、神によって定められた「天の法令」である。天文学者は現代的な設備や最新の数学の知識があっても、いまだにそれらの法令を十分に理解できない。(ヨブ 38:33; エレ 33:25)しかし、彼らの発見した事柄は、人間にとってそのような天を測ることや天体を数えるのは不可能であることを確証している。(エレ 31:37; 33:22)しかし、神はそれらを数え、それらを名で呼ばれるのである。―詩 147:4; イザ 40:26。
「中天」という表現は、鷲のような鳥が飛ぶ、地球の大気圏の大空の中にある領域に適用される。(啓 8:13; 14:6; 19:17; 申 4:11[ヘ語,「天の心」])それと幾分似ているのが、「地と天の間に」という表現である。(代一 21:16; サム二 18:9)バビロンを攻撃する者たちが「天の果て」から進んで来るということは、彼らが遠い地平線(地と空が出会うように見え、日が上り、また沈むように見える所)からバビロンにやって来ることを意味しているようである。(イザ 13:5。詩 19:4‐6と比較。)同様に、「天の四方の果てから」という表現は恐らく羅針盤の四方向のことで、それゆえに地の四つの方角が網羅されることを示唆しているようである。(エレ 49:36。ダニ 8:8; 11:4; マタ 24:31; マル 13:27と比較。)天が地球をあらゆる方向から取り巻いているように、『全天の下の』すべてのものをご覧になる神の視界も地球全体に及ぶのである。―ヨブ 28:24。
もう一つのヘブライ語シャハクも、「空」や空の雲を表すのに用いられている。(申 33:26; 箴 3:20; イザ 45:8)この語の語根には、イザヤ 40章15節にある「塵の薄い層」(シャハク)のように、細かく砕かれたもの、粉々にされたものという意味がある。この意味は確かに適切である。暖かい空気が地から上昇し、露点として知られる温度にまで冷え、その中に含まれる水蒸気が凝結して雲粒とも呼ばれる細かい粒子に変化するとき、雲が形成されるからである。(ヨブ 36:27,28)この意味が適切であることを裏付ける別の点は、太陽光線が気体の分子や大気を構成する他の粒子(塵を含む)によって乱反射するため、空のドームが見た目に青く映るということである。神はそのような大気圏を形成することによって、事実上『鋳物の鏡のように空を堅く打ち伸ばし』、人間の頭上にある大気圏の青い丸天井に明確な限界、つまり明白な境界を設けられた。―ヨブ 37:18。
「天の天」という表現は最も高い天を指すものと考えられている。また、天は地球からあらゆる方向へと伸びているので、この表現は、どれほど広大であるとしても、物質の天の全範囲を包含するものと言えるでしょう。―申命記 10:14; ネヘ 9:6。
エルサレムの神殿の建設者であったソロモンは、「天も、いや、天の天も」神を入れることはできないと語った。(王一 8:27)天の創造者であられるエホバの地位はそれらの天すべてのはるか上にあり、『そのみ名だけが達しがたいまでに高く、その尊厳は地と天の上にある』のである。(詩編 148:13)人間が指を広げ、親指の先と小指の先の間に物を置いて測るように、エホバはいとも簡単に物質の天を測られる。(イザ 40:12)ソロモンの言葉は、神が明確な住みかをお持ちでないという意味ではない。また神は、文字通りあらゆる場所に、あらゆるものの中にいるという意味で遍在しておられるのでもない。そのことは、ソロモンが、神は「天から,すなわちあなたの住まわれる定まった場所[つまり,霊界の天]から」聞いておられる、とも述べていることから分かります。―王一 8:30,39。
このように、「天」という語には物理的な意味で広い範囲が包含されています。それは宇宙空間の果てまでを含むこともあれば、単に普通を超える程度に高いものや高大なものを指すこともある。例えば、暴風雨に翻弄される船に乗っている人たちは、「天に上り、底に下る」と言われている。(詩 107:26)同じように、バベルの塔の建設者たちも、『頂が天に届く』建造物、言わば“摩天楼”を造ろうとした。(創 11:4。エレ 51:53と比較。)また、アモス 9章2節の預言は、エホバの裁きを逃れようとしてむなしい努力を続ける、「天に上る」人々について述べているが、それは彼らが高い山地に逃れ場を見いだそうとすることを意味しているようである。
物質の天を表わすのに用いられている同じ原語は、霊的な天にも当てはまる。これまで見てきたように、神は霊であられるので、物質の天には住まわれない。しかし、神は「高み」に住んでおられる「高く高大な方」なので(イザ 57:15)、ヘブライ語で表現されている「高められている」もの、「高大な」ものの基本的な意味からすると、神の「神聖さと美との高大な住まい」という表現は適切である。(イザ 63:15; 詩 33:13,14; 115:3)物質の天の造り主であられる神は(創 14:19; 詩 33:6)、その天の所有者でもあられる。(詩 115:15,16)神はその天において、奇跡的な業を含め、ご自分の喜びとなる事柄を何でも行われる。―詩 135:6。
ですから、多くの聖句において、「天」は神ご自身とその主権者としての地位を表している。神の王座は天に、つまり霊の領域にあり、神はこの領域をも支配しておられる。(詩 103:19‐21; 代二 20:6; マタ 23:22; 使徒 7:49)神はご自身の至上の地位、もしくは究極の地位から物質の天と地を事実上『見下ろして』おられ(詩 14:2; 102:19; 113:6)、さらにはその高大な地位から話し、請願に答え、裁きを下される。(王一 8:49; 詩 2:4‐6; 76:8; マタ 3:17)ゆえに、ヒゼキヤとイザヤは重大な脅威に直面した時に「祈り続け、天に援助を叫び求めた」と記されている。(代二 32:20。代二 30:27と比較。)イエスも神を表す語として天を用い、宗教指導者たちに、ヨハネのバプテスマは『天からのものか、人からのものか』とお尋ねになった。(マタ 21:25。ヨハ 3:27と比較。)放とう息子は、自分自身の父に対しても「天に対して」も罪をおかしたと告白した。(ルカ 15:18,21)ですから、「天の王国」とは、その王国が霊的な天を基盤とし、霊的な天から支配を行うということだけでなく、それが「神の王国」であることをも意味している。―ダニ 2:44; マタ 4:17; 21:43; テモ二 4:18。
また、神の天的な地位のゆえに、人間とみ使いは、行動を起こしてくださるよう神に呼び求める際にも(出 9:22,23; 10:21,22)、誓いをする時にも(ダニ 12:7)、祈る時にも(王一 8:22,23; 哀 3:41; マタ 14:19; ヨハ 17:1)、天に向かって手や顔を上げた。申命記 32章40節で神はご自分について、『手を天に上げて誓う』と語っておられる。ヘブライ 6章13節と調和させて考えるなら、これは神がご自身にかけて誓われることを意味しているようである。―イザ 45:23と比較。
使徒パウロはコリント第二 12章2‐4節で、「第三の天に連れ去られ」、「パラダイスに」入った人について述べている。ほかの人がそのような経験をしたとは聖書の中に記されていないので、これは使徒パウロ自身の経験であろうと考えられている。ある人たちは、パウロが言及している第三の天を、天には幾つかの段階があり、全部で「七つの天」になるというラビの古い見解と関連づけようとしましたが、この見解には聖書的な根拠がない。聖書には、天が幾つかの階や段階に分けられているかのような明確な説明を加えている箇所はない。むしろ、それが地球の大気のある大空の中の天なのか、宇宙空間の天なのか、霊的な天なのか、それとも何かほかのものに言及しているのかを見定めるには、文脈に頼らなければならない。「第三の天」に言及している箇所は、この幻を与えられた時の最高度の歓喜を示唆しているようである。イザヤ 6章3節、エゼキエル 21章27節、ヨハネ 21章15‐17節、啓示 4章8節では、ある特質や考えの強さを表現するためだと思われるが、種々の語や表現が3度繰り返されているからである。
物質の天
地球の大気圏としての天
宇宙空間
「中天」と「天の果て」
雲のかかった空
「天の天」
霊的な天
第三の天