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大橋は、17世紀の初めに西の仙台城大手門と東の仙台城下を結ぶために架けられた。慶長6年 (1601年) に架けられた仙台橋の名前が変わったものとする説があるが、最近になって仙台橋はもっと南に作られたとする説が出てきており、二つは別のものである可能性もある。
広瀬川は洪水が多く、大橋は何度も流されては架け直された。今の大橋は、大手門にまっすぐ向かう道路に架けられているが、江戸時代の道はそれより北にずれていた。西に向かう道はいったん石垣にぶつかってから、石垣に沿って南に曲がり、門の前でまた西に向き直って城内に入った。防衛上の配慮である。当時の大橋はこの道筋にしたがって、今よりわずかに北に架けられていた。2003年現在も、川底に昔の橋げたの跡が穴になって残っている。大橋から東、仙台城の外は川内といい、伊達家の上級家臣の屋敷が並んでいた。川内は丸の内とも呼ばれ、広瀬川を天然の堀に見立てて石垣で固めた第一線の守りであった。大橋には番所がおかれ、通行者を取り締まった。
寛永元年 (1624年)には、ポルトガル人のカルバリオ神父と八人の日本人キリシタンが捕らえられ、大橋の下で冬の広瀬川に浸される責めを受け、殉教した。昭和46年 (1971年) に建てられたキリシタン殉教の碑が、橋から東岸北側に降りたところにある。
明治22年 (1889年) 9月にまたしても大橋が流されると、現在の位置に鉄の橋が架けられた。この橋が老朽化すると、昭和13年 (1938年) にコンクリートの橋が架けられた。これが2003年現在まである大橋である。
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現在の大橋は、長さ約116メートル、幅約11メートル。白いコンクリート造りだが、灯篭風の柱に和風の装飾を凝らす。仙台駅西口駅前から青葉通りをまっすぐ進み、緩い下り坂(大坂)を下りきったところにある。左右には広瀬川の美しい景観が見られる。橋から西に向かっては、正面に大手門隅櫓を、その左に青葉山をを見上げる。青葉山には仙台城があるが、木々にさえぎられて見通しにくい。川面には水鳥が訪れ、冬には上空をトビが飛ぶ。そしてカラスがたくさんいる。