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太宰 治(だざい おさむ、1909年6月19日 - 1948年6月13日)は青森県生まれの作家。本名津島修治。次女は作家の津島佑子。
| Table of contents |
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2 略年譜 3 作家研究 4 作品リスト 5 関連項目 6 外部リンク |
経歴
太宰治は、青森県下有数の大地主の子に生まれた。父・源右門は衆議院議員、貴族院議員。17歳頃、習作『最後の太閤』を書き、また同人誌を発行。作家を志望するようになる。弘前高校時代には泉鏡花や芥川龍之介の作品に傾倒する。
同人誌『細胞文芸』を発行すると辻島衆二の名で作品発表、井伏鱒二に指導を受ける。このころは他に小菅銀吉、または本名でも文章を書いていた。東京帝国大学に入学し、以降井伏鱒二に師事。 1933年、短編『列車』でデビュー。処女作品集『晩年』を上梓してから入水自殺の日まで、多くの小説・随筆を書いた。
39年の生涯で5回自殺未遂を図り、1948年に玉川上水における愛人との入水心中により生命を絶つ。二人の遺体が発見されたのは、奇しくも太宰の誕生日である6月19日のことであった。この日は桜桃忌として知られ、三鷹の禅林寺を多くの愛好家が訪れる。太宰治の出身地・青森県金木町でも桜桃忌の行事を行っていたが、生地金木には生誕を祝う祭りの方がふさわしいとして、生誕90周年となる1999年から「太宰治生誕祭」に名称を改めた。
略年譜
作家研究
5回の自殺未遂や小説のデカダン的ともいえる作風のためか、真に迫った作風を好む作家として捉えられているが、実際はユーモアの溢れるものも残している。また坂口安吾、織田作之助、石川淳と共に「無頼派」または「新戯作派」の一人に数えられる太宰は、頽廃的な作風を好んだ、と一般に言われている。しかしながら、太宰自身は退廃的な作品を書きながらも、同世代の作家のなかでもっとも「神を求めた人」であった、とする研究・評論も多くある。
小説のもつ頽廃的なイメージとは逆に、太宰は聖書やキリスト教にも強い関心を抱き続けた。そして聖書に関する作品をいくつか残している。その一つが『駆込み訴え』である。駆込み訴えでは一般的に裏切り者、背反者として認知されるJudasの心の葛藤が描かれている。
また、壇一雄は伝記小説と言える『小説太宰治』を書いた。
作品リスト
関連項目
外部リンク