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台北(Táibĕi、タイペイ。なお日本統治時代はタイホクと日本語読みしていた)は、台湾の政治的な中心地で、中華民国の実質的な首都。人口260万(2001年)。
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2 交通 3 歴史 |
台湾北部の台北盆地に位置する。急速な人口増のため、盆地の山際にまで都市化が進展している。北部は夜市で有名な士林、山の手高級住宅地の天母、温泉で有名な北投から、外港として栄えた淡水にいたる。中心部は古くから栄えた地域であり、日本時代の建築や清時代の遺構が多い。総統府、台湾最古の寺、龍山寺もここにある。南部には茶の産地である木柵を擁する。
市外への交通
台北市内から市外へ出るには飛行機・鉄道・長距離バス等を利用するのが一般的である。
飛行機は運賃は高いが主要都市を短時間で結び、長距離バスは時間はかかるものの安価で中小の都市を網羅しているためそれぞれ人気が高い。
なお2005年には日本の技術提供により台湾新幹線が開通し、台北~高雄間を90分で結ぶ予定である。
市内交通
台北市内は自動車とバイクが主要な交通手段となっており、運転が荒く空気も悪いため、自転車はあまり普及していない。また公共交通機関はバスや新交通システムのMRT(台北捷運)とタクシーがある。
1895年に日本統治が始まると、日本は独立派の勢力が強く、日本からも遠い台南を嫌って台北に総督府を置く。台北の本格的発展はこの時点から始まる。市域の拡大や周辺農地の治水・開墾が進められ、日本本土からの移住者も多数にのぼった。さらに経済的にも軽工業や農産物の生産などにより次第に影響力を強めた。このような中、市民生活も豊かになり西門町では数多くの映画館が立ち並び、また台北郊外の北投温泉は、日本有数の温泉地として整備され台湾の内外から多くの湯治客・観光客を集め、1923年には裕仁皇太子(のちの昭和天皇)も訪問した(天皇が来訪した温泉場も現存する)。このように日本統治下において台北は台湾の政治・経済・観光・軍事の中心地として栄えた。
戦争が始まると、台湾は南進基地として利用され、台北には本土からの軍隊が往来するようになった。それを狙って米軍による空爆も開始され、市民は疎開を余儀なくされた。
光復後は日本人は引き上げ、代わりに蒋介石率いる国民党が駐留するようになった。国民党は兵士やその家族を引き連れて居留したため、台北人口は一気に跳ね上がった。国民党は中華文化を称揚する政策をとり、台北の日本建築は中華式のものに立て替えられたり、中正記念堂や故宮博物院、円山大飯店などの中華様式のモニュメント的建築が建てられた。日の出町などの日本式の名前を持っていた町や通りも、中山路・民族路などの中華式のものに改められた。
国民党政府は開発独裁をしき、軍事や経済発展を優先したため、台湾経済は飛躍的に発展し、中心地である台北も人口増が相次いだが、民生は後回しにされていたため、台北の交通渋滞や公害問題は悪化していった。それを解決するために台北駅の地下化、地下鉄建設、排気規制などが計画されたが、ほとんど実行されなかった。
これらの政策が実行に移されるようになったのは、民主化の進んだ90年代前後からであり、台北の都市環境は飛躍的に整備されるようになった。
IT経済化、さらにバイオなどの知識集約経済化を進める台湾では、台北を中心とした地域の重要性がさらに高まっている。台北市内には余地がないため、台北都市圏は周辺に拡大を続けている。特に台北から板橋、桃園空港へ至る回廊は人口が密集し、新交通システムの建設も予定されている。1995年現在、台北大都市全区の人口は575万人を数え、香港と同程度である。
また南部には台湾に出稼ぎにきたフィリピンやラオス人の居住地があり、鉄道が開通したことから、急速にベッドタウン化が進んでいる。
2005年には高雄との高速鉄道も完成し、高雄圏の人口をさらに吸引するのではないかと予測されている。工業都市高雄は台湾経済の脱工業化により、地盤沈下が著しいからである。
台湾は台北をアメリカと中国の中継基地として発展させる構想を持っており、既に中国人のアメリカ向け職業訓練が台湾で行われたり、アメリカからの受注し、上海や福建で生産させる方式が盛んである。
地理
交通
歴史
台北はもともと平埔族と呼ばれる原住民の住む土地であったが、明代の初め頃より漢民族が居住するようになった。また大航海時代になると台北市郊外にある淡水にスペイン人が城を作ってから欧州人の活動拠点の一つとなった。清朝になると、当初清政府は化外の地として台湾島への渡航自体を制限していたが、やがてなし崩し的に制限は解除され、漢民族の移住は活発化し、台北は一府二鹿三艋舺と三大都市の一つに数えられるほど栄えるようになった。府とは清朝当地の中心であった台南、鹿とは台湾中部の鹿港、艋舺とは台北のことである。字が示すように、元々台北は水運から発達した。