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大島 渚(おおしま なぎさ、1932年3月31日 - )は、映画監督。
京都市生まれ。大学在学中は京都府学連委員長を務め、1954年京都大学法学部を卒業後、松竹大船に入社。助監督を経て『青春残酷物語』『太陽の墓場』(1960年)などのヒット作で松竹ヌーベルバーグの旗手となる。日米安全保障条約の改定・批准に反対する安保闘争を舞台にした作品『日本の夜と霧』(1960年)の上映中止に抗議し、松竹を退社。その後、『愛のコリーダ』(1976年)、『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『御法度』(1999年)など。テレビのコメンテーターとしても活躍した。
| Table of contents |
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2 業績と変遷
2.1 映画監督として出発するまで
3 監督作品2.2 『日本の夜と霧』 2.3 社会派監督の時代 2.4 時代と切りむすぶ 2.5 日本と『絞首刑』 2.6 当たり屋と沖縄 2.7 60年代の総決算 2.8 愛と自由を問う 2.9 収容所と官能性 2.10 集団性を凝視して 4 主な著書 5 外部へのリンク |
国内では初期の作品から注目を集め、松竹ヌーベルバーグの旗手ともいわれたが、国際的名声を不動にしたのは、1930年代の阿部定事件を題材に男女の性的執着と究極の愛を描いた1976年の挑発的作品『愛のコリーダ』(Empire of the Senses)であった。黒澤明監督流のヒューマニズムと検閲制度に対する激しい批判からハードコア・ポルノグラフィーへと傾斜した大島は、公権力の干渉を避けるため日仏合作という形を取り、撮影済みのフィルムをフランスに直送して、現像と編集の作業を行なった。公開当初は映倫の介入によって作品が意味をなさないほどの大幅な修正で国内上映されたが、2000年のリバイバル上映で修正個所は大幅に減ったものの、ボカシが入ったものとなっており、現在でも国内でオリジナルヴァージョンを観ることはできない。
『愛の亡霊』(Empire of Passion) は同様のテーマを扱った作品。不倫の妻が愛人と共謀して夫殺しに走るという、前作よりもある程度性的描写を抑制した。この作品でカンヌ国際映画祭が監督賞を授与した。
その後1996年に約10年ぶりの映画製作発表をしてまもなく渡英先のロンドンで脳出血に見舞われた。その後、三年にわたるリハビリテーションが功を奏し復帰作『御法度』(1999年)の公開を果たした。
概要
業績と変遷
映画監督として出発するまで
『日本の夜と霧』
社会派監督の時代
時代と切りむすぶ
日本と『絞首刑』
当たり屋と沖縄
60年代の総決算
愛と自由を問う
収容所と官能性
集団性を凝視して
監督作品
主な著書
外部へのリンク