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中国(ちゅうごく、Zhōnggúo)とは、アジア大陸の東部に広がる地域、亜大陸とそれに付随する島嶼の地理的名称であり、その地域に紀元前から継続する文明の総体である。様々な民族が入り混じってきた地域ではあるが、実質的には、漢民族の居住してきた地域とほぼ一致し、漢民族の拡大とともに領域を拡大してきた。戦後、大陸部を実質的に支配する中華人民共和国と、大陸支配の正当性を訴える中華民国という二つの国家に分かたれた。これは現在に至り、いまだ政治的な問題をはらんでいる。(両岸問題)
| Table of contents |
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1.1 「中国」
2 歴史1.2 「中華」 1.3 「絹」に由来する呼称 1.4 「秦」に由来する呼称 1.5 「漢」に由来する呼称 1.6 「拓跋」に由来する呼称 1.7 「唐」に由来する呼称 1.8 「契丹」に由来する呼称 3 政治 4 地理 5 民族 6 文化 |
中国は「国の中心」を意味し、本来は特定の民族、国家を指す語ではないが、古くから漢民族によって自分たちの居住する地域を指す語として用いられてきた。国名としてはもっぱら王朝の名前が使われたようであるが、1912年に中華民国が成立してから後は、中華人民共和国・中華民国のそれぞれの国号の略称にもなった。
本来「華」は「夷」や「戎」などの蛮族に対して、優れた文化を持った者を意味し、黄河の流域に都市国家を築いて漢民族を形成していった人々によって自称として用いられた。ここから、「中心の国に住む優れた文化」という意味の「中華」や、その持ち主という意味の「華人」という呼称が生まれ、中華人民共和国・中華民国の国号や「華僑」という言葉はこれに由来している。
古代ギリシャでは、中国の特産品である絹を意味する「セル(σηρ)」という言葉から派生した「セレス」という呼称が使われていた。しかし、やがて後述する「チーナ」に由来する「スィーン」が伝わるとその系統の呼称に取って代わられた。
漢字圏以外からは、古くは秦に由来すると考えられるチーナ、シーナという呼称が一般的に用いられ、古代インドではチーナスタンとも呼んだ。これが仏典において漢訳され、「支那」「震旦」などの漢字をあてられる。この系統の呼称はインドを通じて中東に伝わってアラビア語などの中東の言語ではスィーン(Sīn)となり、ヨーロッパではギリシャ語・ラテン語ではシナエ(Sinae)に変化する。また、さらに後にはインドの言葉から直接ヨーロッパの言葉に取り入れられ、China(英語)、Chine(フランス語)などの呼称に変化した。
日本においては、江戸時代末期に、清を指して「支那」と同じ語源を持つとされるChinaなどの訳語として、広く使われるようになった。しかし、支那は日本が中国を占領下に置いていた時代の呼称であることや、「支(=末端の)」「那(=国)」、という文字の持つ意味、またその当時に中国人を蔑んで支那人と呼ぶ風習があったため、中国人や多くの日本人には差別的ニュアンスを感じさせる言葉と認識されている。
一方、単に英語のChinaがそのまま訛っただけなので差別用語ではないという意見もあるが、放送においては差別用語として支那とは呼ばないようにしている。ただし、一部には「満州」や歴史的チベット、内モンゴル、新疆(東トルキスタン)などを除いた、元々漢民族の版図とされる地域(英語では、China properと呼ばれる)を指してシナ(この場合はカタカナ)と呼ぶ用例が残されている(シナ・チベット語族、東シナ海、シナチクなど)。
最初の統一王朝ながら短命に終わった秦王朝に代わって400年間に渡って中国を支配した漢王朝(前漢と後漢)の時代に、漢民族を中心とする中国の版図は定着していった。そのため、「漢民族」や「漢字」のような言葉に漢の字が使われている。
突厥の人々が残した古テュルク文字の碑文において中国の人々を指して使われている呼称に「タブガチュ(Tabgach)」があり、北中国に北魏を建てた鮮卑の拓跋部に由来すると考えられている。タウガチュの系統の呼称は、突厥以後も中央アジアで広く使われたが、モンゴル帝国の時代前後に後述するキタイに取って代わられた。
江戸時代以前の日本の人々は、しばしば遣唐使を通じて長く交渉を持った唐の国号をもって中国を呼んだ。古語で外国を意味する「から」の音を唐の漢字にあてる例も多い。日本に来航する中国商人は「唐人(からびと、とうじん)」と呼ばれ、文語の中国語を「漢文」というのに対して口語の中国語は「唐語(からことば)」と呼ばれた。
11世紀頃に中国の北辺を支配したキタイ(契丹)人の遼王朝から中央アジア方面ではキタイ、カタイという呼称が生まれた。ペルシア語やテュルク語を通じて中国の文物の名前を知ったと見られるマルコ・ポーロは、北中国のことをキタイという名で記録した。ロシアでは現在も中国のことをКитай(Kitay)と呼んでいる。
西ヨーロッパにはCathayとして伝わり、キャセイ・パシフィック航空の社名などに使われているが、Chinaに比べるとあまり広汎に用いられる呼称ではない。
中国の歴史を参照。
中国の歴代王朝は自らが人類の唯一の国家でありそれ以外は国の辺境に過ぎないという態度を取ってきた。故に中華王朝には(対等な国が存在しないのだから)対等な関係の外交と言うものは存在せず、全て朝貢と言う形を取っていた。
しかし近世に入りロシア帝国の南下の圧力が強まるとやむを得ずロシアを国家と認めネルチンスク条約を結んだ。
中国は気候や風土の違いから大きく華北・華南にわけられる。
華南人と華北人の気質の違いは古来からよく対比されてきており、日本人が関東人と関西人をよく対比するのと相似的である。ちなみに日本の関東、関西と言う呼び名は秦への入り口として有名な函谷関を境に関東、関西と分けた事に由来する。
華南と華北を区切るラインはほぼホワイ川(淮河)に一致し、これは年間降水量1000mmのラインでもある。
ここより南側の華南では湿潤で温暖湿潤気候(Cfa)にあたり、アジア的稲作農業が行われる。
チャン川(長江、揚子江)をはじめとして河川・湖沼に富み、水上交易も古くから盛んであった。
華南地域の中心的都市は上海であり、現在も貿易の拠点として重要である。
これに対して華北は比較的乾燥して温暖冬季少雨気候(Cw)や冷帯冬季少雨気候(Dw)にあたり、畑作農業が中心となる。
華北平原と呼ばれる平野地帯が広がり、陸上交通が発達した。
華北の中心的都市は中華人民共和国の首都でもある北京である。
こうした南北の風土の違いは「南船北馬」などの慣用表現にも反映されている。
古くから中国人は自分達の住んでいる黄河流域周辺を文明中心地として誇り、周辺地域を自分達の中国に対して辺境とみなし蔑んでいた。その地域に住む人をそれぞれ北狄(ほくてき)東夷(とうい)西戎(せいじゅう)南蛮と呼んでいた。
漢民族が多数を占めるが、中国東部の漢民族の版図とされる地域を含め、漢民族以外の数多くの民族が居住しており、中華人民共和国政府が公式に民族として認定しているものだけでも少数民族は55を数える。名称
「中国」
「中華」
「絹」に由来する呼称
「秦」に由来する呼称
「漢」に由来する呼称
「拓跋」に由来する呼称
「唐」に由来する呼称
「契丹」に由来する呼称
歴史
政治
地理
民族