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古代ローマで使用されていた暦法。古代ギリシャの太陰暦を元にしてつくられた。厳密にはユリウス暦もローマ暦の仲間である。さらに広い意味では、ユリウス暦を改変して、同じローマ市で布告されたグレゴリオ暦も含む。本項では、ユリウス暦より前のローマ暦について述べる。
| Table of contents |
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2 ローマ暦の日付の数え方 3 末期のローマ暦 4 曜日の名 5 ローマ暦での年の数え方 6 ローマ暦の使用 |
紀元前753年、最初のローマ暦が古代ローマで採用された。この暦法は当時の王の名をとり、ロムルス暦と呼ばれる。3月から始まり12月で終わっていた。各月の名称と日数は次のとおり。
紀元前713年、改暦が行われ、1月(Januarius、29日間)、2月(Februarius、28日間)がつけ加えられた。平年の1年の長さは355日になる。2年に1度、2月の日数を23日に減じ、2月23日の翌日に Mercedinus という名の27日間または28日間の閏月を挿入した。この時期はまだ年始は3月1日であった。この暦法は、布告した王の名をとりヌマ暦と呼ばれる。
小の月のノーネスは第5日、アイズは第13日だった。具体的には1月、2月、4月、6月、8月、9月、11月、12月。
大の月のノーネスは第7日、アイズは第15日だった。具体的には、3月、5月、7月、10月。
9月1日は、9月のカレンズ、9月5日は9月のノーネスと呼ばれた。
その他の日付の呼び方も現代とは異なる。ローマ暦は基本的に逆算式だった。具体的には、9月2日は「9月のカレンズの翌日」や「9月2日」とは呼ばれず、「9月のノーネスの4日前」と呼ばれた。9月の例を1日から30日までを次に列挙する。
この後も数度、改暦が行われた。最も大きな改暦は紀元前153年1月1日に行われた。この年から、年の始まりが3月1日ではなく、1月1日に移った。
紀元前46年まで使われていた最終期のローマ暦は、1年は12か月、355日だった。年始は1月1日であった。1月から順にそれぞれの月の日数は次のとおり。
しかし、政治的な理由からときの為政者が規則どおり閏日を入れなかったため、暦の上の日付と季節がまったく合致しなくなった。末期には90日のずれを生じた。このため、ユリウスは紀元前46年にローマ暦を廃し、翌紀元前45年からユリウス暦を採用した。ユリウスは、前述の90日分を補正するため、紀元前46年の日数を445日とした(355日 + 90日)。記録に残る限り、最も1年の日数が長い年はこのローマ暦での紀元前46年である。歴史ではこの年を錯乱年と呼ぶ。
現在の七曜日もローマ暦の途中から使用されるようになった。7つの曜日の名は次のとおり。かっこ内は日本語での意味である。
最初期のローマ暦
1年の長さは304日で、12月30日と3月1日の間に、日付のない日が約61日間続いた。農耕暦だったので、畑仕事のない季節に日付は必要なかったとされる。当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを知らなかったため、日付のない日は厳密に61日間ではなく、春めいてきた日に王が新年を宣言するという形をとったと考えられる。ローマ暦の日付の数え方
ローマ暦では今のように「1月5日」というような日付の呼び方はしなかった。各月に3つずつ、特別な日があって、それぞれ、
と呼ばれた。ただし、ローマ暦の1ヶ月は、太陰暦と違い、月の運行とはずれているため、ノーネス、アイズは実際には本当の半月、新月とはならない。この3つの基準日を元に、それぞれの日の名前が決まる。ローマ暦での9月各日の名称
ローマ人は基準日も含めて日数を数えたので、「10月のカレンズの3日前」は、10月のカレンズの前前日にあたる。同じ理由で「2日前」という表現がない。また、基準日の前日を示す単語は、今でいう「クリスマス」につける「イブ」のような、特別な冠詞がついた。このようにローマ暦が逆算式だったのは、各月のカレンズ、ノーネス、アイズの日に、市が立ったり祭事その他催しがあったりしたため、「次の基準日まで何日」という数え方のほうが使いやすかったためである。前日が特別な呼ばれ方をしたのは、祭事の準備などを行う特別な日だったため、特別な名がついたと考えられる。末期のローマ暦
平年の1年の長さは355日で、2年に1度、2月23日と2月24日の間に22日間または23日間の閏日を挿入した。閏年の1年の長さは377日または378日になる。閏日が2月23日の翌日におかれるのは、初期のローマ暦が閏年の2月の日数を23日に減じたことに由来する。曜日の名
ローマ暦での年の数え方
最初のころはそれぞれの年に番号をつけることはしなかった。必要なときは、毎年年初に就任する2名の執政官の名前を並べて呼んだ。執政官はローマ市長に相当し、ローマ共和国の元首でもあった。
共和制末期になってから、紀元前753年のローマ建設からの通算年である、A.V.C.という年号が使われた。当時はUとVは同じ文字の異字体だったので、A.U.C.と書かれていることもある。さらに後、ユリウス暦時代になってから、皇帝ディオクレティアヌス(284年即位)からの紀元である「A.D.」が使われた。A.D.は、我らの主の年、という意味の略語である。この「A.D.」は現在のキリスト紀元の「A.D.」とは関係ないことに注意する必要がある。6世紀、ディオニュシウスは、キリスト教を迫害したディオクレティアヌスを起源とする暦年法は問題があるという理由で、A.Dの1年をキリストの生まれた西暦1年に変更した。しかしこれが一般に使われるようになるには時間がかかった。また、ディオクレティアヌスの計算は誤っており、A.D.1年はキリスト生誕の年でないことにも注意する必要がある。紀元前を表すB.C.の記号は、17世紀になってから始まったA.D.をC.E.(Common Eraの略)、B.C.をB.C.E.(Before C.E.の略)と書くこともある。C.E.1年は紀元1年と同義で、B.C.E.は紀元前1年と同義である。