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現在は干拓などによって湖岸からやや離れ、小高い山上に城址が残っている。五層七重の天守閣を持ち最上層から二番目は朱色の八角形をしていたと伝えられ、その中には階層を貫く仏塔があったとされる。信長の天下統一事業を象徴する城郭であったが、1582年、山崎の戦いの後、織田信雄軍が誤って焼き払った。(明智軍が敗走の際に放火したとの説もある)
長年、その偉容をめぐって論議されているが、設計図が発見されたなどとマスメディアを賑わす事も多く、復元図が発表されてもしている。信長が権力を誇示するために安土城を描いた金箔の屏風が、ヨーロッパに送られ教皇庁に保管されているのではないかと主張する研究家もいるが、未だに発見されていない。