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経緯
バブル景気の引き金になったのは1985年のプラザ合意とされている。当時、ドル高による貿易赤字に悩む米国はG5諸国と協調介入する旨の共同声明を発表した。これにより急激な円高が進行。1ドル240円前後だった為替相場が数年で1ドル120円台まで急伸した。これにより、
強引な手口の地上げ屋が社会問題となり、円高も相まってジャパンマネーによる海外資産の買い漁りも目立った。
後退
投資が活発となり景気は好調となったが、実体経済の成長を伴わない、いわゆるバブル経済であったため、やがて縮小することとなる。すなわち、投機意欲が保たれなくなると株や土地などの資産は急落し、一転して大きな含み損をもたらすこととなった。株価は1989年の年末に最高値38915円を付けたのを最後に下落に転じ、地価も1991年頃から下落に転じた。いわゆるバブルの崩壊である。
バブル経済時代に土地を担保に融資された債権は、地価の下落によって担保が融資額を下回る事態になった。こうして銀行が大量に抱え込むことになった不良債権は銀行の経営を悪化させ、大きなツケとして1990年代に残された。