大化の改新
大化の改新(たいかのかいしん)は飛鳥時代に発布された改新之詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革。蘇我氏など豪族を中心とした政治から天皇中心の政治への転換点となった。詔が出される前に行われた蘇我氏族滅(=乙巳の変)を含むこともある。
645年6月12日に、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ、後の天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり、後の藤原鎌足)らが、蘇我蝦夷(そがのえみし)・蘇我入鹿(そがのいるか)親子を暗殺して政治の実権を握った後に行った、様々な改革のこと。
翌年発布された改新之詔(みことのり)により
- 公地・公民(人民や土地は全て天皇のものである)
- 班田収授の法(戸籍を作成し、公地を公民に貸し与える制度)
- 国郡制度(日本を国と郡に分割して統治する制度)
- 租・庸・調の税制度(公民に税や労役を負担させる制度)
などが決められ、日本が天皇を中心とする中央集権国家として歩み出すことになる。