|
|
保守新党(ほしゅしんとう)は、日本の保守政党である。2000年4月に自由党から分裂して保守党として結成された。2002年2月に民主党からの離党者を加えて保守新党と改称した。2003年11月10日に衆議院選挙で大敗を帰したことにより、2003年11月21日で解体し自民党に合流した。
| Table of contents |
|
2 党の綱領と政策 3 党の政治家 4 関連記事 |
自由党が自由民主党との連立から離脱した際に、連立継続を望む議員が結成した。ほとんどが1990年代の新党ブームの中で自由民主党から分かれた者である。3名がすぐに自由民主党に復帰し、この年の選挙でさらに議席数を減らした。
初代党首は扇千景で、森内閣、小泉内閣で大臣を歴任した。2001年9月に野田毅が党首に代わったが、閣僚には扇が2003年9月まで留まった。
民主党の熊谷弘らの参加を受け入れるために、2002年12月に保守新党を新たに結成した。民主党から加わったのは、衆議院議員4名であった。同時期に、野田党首は自由民主党への単独復党を交渉しており、新党結成の直前にこのことが発覚して党内は混乱した。野田らは保守クラブを結成して分かれてから、すぐに自民党に合流した。結果として衆議院議員は9名、参議院議員が4名になり、保守新党の初代代表には熊谷が選ばれた。
その後は保守新党に対する民主からの合流はなく、党に対する支持も伸びなかった。2003年11月の総選挙で熊谷代表らが落選して衆議院議員が4名に減った。自民党側からの誘いもあって、投票日の翌10日に、自由民主党への合流を発表した。
2002年12月25日の綱領で、保守新党は「日本の再生を目指し、人間のあり方、社会のあり方の基本として家族の絆や地域社会において共に支えあうというつながりを大切にし、思いやりと自立心をもった活力ある国づくりを目指」すとした。
国内政策では、自己責任を重視し、「結果の平等」より「機会の平等」を優先した。具体的には地方分権、環境保全、バリアフリーと社会保障、食糧自給率高上、都市と農村の交流、教育基本法の改正といった項目を綱領に掲げた。
外交面では、世界の安全と平和のために積極的に貢献する外交を掲げた。具体的には、日米安全保障条約を重視し、集団的自衛権の行使を前提にした外交安全保障政策の策定に意欲を見せた。そのために、有事法制の整備を推進し、防衛庁を省に格上げし、できる限り早く憲法を改正したいとした。
党の歴史
党の綱領と政策
党の政治家
歴代の党首・代表
その他
関連記事