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ヘンリー1世は、娘のマティルダを次のイングランド王に定めて死去した。この決定に従兄妹のスティーブンが異を唱えてイングランド王に就任すると、両者の間に内戦が続いたが、1153年、マティルダの子ヘンリーを次期イングランド王にすることで和解した。
ヘンリーは父方と母方から広大な所領を相続し、さらにフランス王ルイ7世と離婚したエレアノールと結婚し、彼女が相続していたアキテーヌ侯領をも手に入れた。ヘンリーはヘンリー2世として即位するとイングランドの領土を加え、ピレネーから南フランスおよびイングランドまでをも支配するようになった。
さらにフランスでの主君に当たるルイ7世に世嗣がいなかったことから、息子をルイ7世の娘マルグリットと結婚させて孫にフランス王を継承させようとしたが、ルイ7世に後のフィリップ尊厳王が誕生したことからこの計画は挫折した。
ヘンリー2世は即位すると、戦争で疲弊していたイングランドの行政・司法・兵制を再建し、巡回裁判官を派遣して地方の行政を監視させ起訴陪審制を定め土地などの占有権侵奪回復訴訟を令状によって国王裁判所に集中させた。現在に続くイギリスの諸制度の多くは、このときに整えられたのである。
ノルマン・コンケスト以来、歴代イングランド王はノルマンディー公を兼ねていることが多かったので、有力諸侯がひしめく大陸の領土を巡回するため長くフランスに滞在し、イングランドに滞在することは少なかった。ヘンリー2世もその例にたがわずフランスに居ることが多かった。
大陸に比べ領土が確定し比較的安定した統治が見込めるイングランドは、軍事・財政面で大陸経営を支える役割を担っていたが、イングランド貴族は大陸での従軍から逃れるため兵役免除金を支払って所領に居座った。これは独立性の強い郷神(ジェントル)と呼ばれる階層が発生する原因にもなった。
1170年、ヘンリー2世は王による教会支配を強化しようとして、教会の自由を唱えるカンタベリー大司教トマス・ベケットを暗殺したが、ローマ教皇との対立を決定的にし教会への譲歩を余儀なくされた。さらに後年、フランス王のフィリップ尊厳王が、家臣としては余りに広大な領土を保有するヘンリー2世の勢力を恐れて、その子たちに謀反を唆したこともあって、混乱の中で死去した。
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