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ヘンリー3世はジョン王から、フランスの領土問題とマグナカルタに象徴される議会問題を引き継いで登場した。ヒューバート・ド・ブルースらの諸侯に担がれて9歳で王位に就いたヘンリー3世は、父ジョン王が失ったフランスの領土を回復するため、1229年と1242年にフランスと戦った。アキテーヌ地方を占領され窮地に陥ったヘンリー3世は、フランス王ルイ聖王と休戦しパリ条約を結び、イングランド王がフランス王に対して臣下の礼をつくすことでアキテーヌ地方の領有を認められた。
また信心深かったヘンリー3世は、ローマ教皇の政策に加担しヨーロッパ各国の王位継承問題に参加するなどしたため、財政難を招きイングランドの諸侯や聖職者の反発を受けるようになった。1258年、レスター伯シモン・ド・モンフォールは貴族や聖職者を率いて反乱を起こすと、1259年、国王に「国王評議会の設置」と「議会に関する取決」を定めたオックスフォード条項を認めさせて王権に制限を加えた。
1262年、オックスフォード条項を反故にしたヘンリー3世は、モンフォールを追放するがルイースの戦で捕らえられて、1265年、ロンドンで開催された議会でオックスフォード条項と父王の時代に成立したマグナカルタを正式に承認した。モンフォールは1266年に戦死するが、精神は受け継がれ現在の立憲君主制が導かれた。
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