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Senegal
| Table of contents |
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2 政治 3 カザマンス紛争 4 経済 5 軍事 6 外部リンク |
西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置し大西洋に面する国。気候は高温乾燥。
14~16世紀ウォロフ人のジョロフ王国があった。1815年のウィーン会議でフランスの植民地となり、ダカールなどの都市、ダカール港、サンルイ~ダカール間鉄道などの建設を進めた。1895年にはフランス領西アフリカに編入されダカールがその中心地となった。1904年フランスが全土を支配下に。1958年11月自治国となり、1959年4月にスーダン(現マリ共和国)とマリ連邦を結成。1960年4月4日マリ連邦としてフランスから独立し、8月20日にはマリ連邦から分離しセネガル共和国として単独国家となった。9月セネガル社会党(PSS)のレオポルド・サンゴールが初代大統領に就任、親フランスの穏健改革路線で1980年12月まで長期政権を維持した。1981年1月アブドゥ・ディウフ首相が第2代大統領に。
1982年2月、ガンビアとセネガンビア連邦を発足させたが、フランス領であったセネガルとイギリス領であったガンビアの体制の違い、主権問題、経済格差などの問題で対立し1989年9月に連邦解消。ディウフ大統領は1983年、1988年、1993年の大統領選で勝利。しかし2000年3月の大統領選決選投票でセネガル民主党(PDS)のワッド党首が当選。ワッド大統領はディウフ政権で外相などを務めたムスタファ・ニアセを首相に任命。
2001年1月7日、新憲法案が国民投票で承認され、大統領任期を7年から5年に短縮、議会を一院制とし議席数も140から120に削減、さらに女性の土地所有権も認められた。3月4日、ワッド大統領はニアセ首相を解任、後任にボワエを任命し、同国初の女性首相が誕生。4月30日の議会選でPDSなどの政党連合「変革」が120議席中89議席を獲得、PSSは10議席、新生民主同盟(URD)は3議席を獲得。
2002年9月26日、ガンビア沖でフェリーが転覆、事故調査委員会は乗員乗客1,220人のうち、1,053人が死亡したと伝えた。軍が現場に船や飛行機を派遣したのが事故発生から12時間後であり、さらにフェリーは定員550人を大幅にオーバーし、設計も湖での航行用だったため、サンボ国防相とサコ設備・運輸相が10月1日に責任を取り辞任。ワッド大統領は11月4日、ボワエ首相以下全閣僚の解任を発表。2日後にPDSのイドリッサ・セク副党首が首相に。セク首相はワッド大統領の有力な後継者と見られている。
ギニアビサウとの国境地帯にあるカザマンス地方の分離独立を進めるカザマンス民主勢力運動(MFDC)が、ギニアビサウを根拠地に反政府武装闘争を開始。1998年MFDCと政府がガンビアの仲介で和平交渉に入り、1999年12月双方が停戦合意。2001年3月、停戦の再確認や捕虜解放など5項目の和平協定に調印した。しかしその後もMFDCとみられる武装集団による略奪・襲撃事件が頻発し、2002年1月中旬にはニアン内相がMFDCの指導者と会談。MFDC側は対策に乗り出すと表明したが、問題は解決していない。
農業(ピーナッツ、粟、米)、漁業(マグロ、タコ)、鉱業(リン鉱石)、工業が主要産業。他の西アフリカ諸国と比べると工業も発達。貿易赤字や累積対外債務に苦しむが、国際通貨基金(IMF)と世界銀行が8億ドルの対セネガル債務の免除を発表。西アフリカ諸国中央銀行の本部がダカールにおかれる。
選抜徴兵制。兵役2年。陸軍8,000人、海軍600人、空軍800人、憲兵隊5,800人。フランス軍が駐留。2002年の国防予算は6,700万ドル。基礎データ
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