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ジハード (جهاد jihād) は、イスラム教において信徒(ムスリム)の義務とされている行為のひとつ。ムスリムの主要な義務である五行ではないが、五行にこれを加えて「第六番目の行」に加えようという主張もみられる。一般には「聖戦」と訳されているが、単純にそうは訳し切れない側面がある。
イスラム教の教典コーラン(クルアーン)には、例えば「神の道のために努力することに務めよ」というような句が散見される。この中の「努力する」に当たる動詞の語根 jahada がジハードの語源であり、ジハードの語はアラビア語で「ある目標をめざした奮闘、努力」を意味する。この「努力」の語自体に「神聖」あるいは「戦争」の意味はまったく含まれていない。
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2 外へのジハード 3 関連項目 4 ジハードのイメージ |
イスラム学者によって整理されたところによると、ジハードには2種類が存在するという。
二つのジハード
「内へのジハード」は、個々人のムスリムの心の中にある悪、不正義と戦って、内面に正義を実現させるための行為のことである。例えば、ホメイニー体制のイランでは、「ラマダーン月はジハードの月」などの標語に、緩みがちなムスリムたちの規律を正し、イスラム共和国の理想を思い起こさせるための行為の意味で「ジハード」が用いられるが、このようなジハードが「内へのジハード」であり、「小ジハード」である「外へのジハード」以上に優先されなくてはならない「大ジハード」である。
もっとも、「内へのジハード」を「大ジハード」として重くみる観念はすべてのムスリムの間に認められているとは言い切れない面があり、主としてイスラム神秘主義(スーフィズム)の潮流で非常に好まれてきたものである。従って、一般に「ジハード」と言った場合は、ほとんどが上の定義に言う「外へのジハード」であるのが実態である。
正統カリフのイスラム共同体(ウンマ)からイスラム帝国へと発展していく、イスラム世界拡大の戦いが落ち着き、イスラム世界のおおよその範囲が定まっていった8~10世紀頃に整備されたイスラム法(シャリーア)は、初期イスラムの拡大戦争を支えたイデオロギーである外へのジハードを以下のような観念にまとめた。すなわち、
ここで注意しなくてはならないことは、イスラムの家を拡大する行為とは単純に武力に訴えた戦争行為ではないことであり、中央アジアや東南アジアのように一種の平和的なジハードによりイスラムの家が拡大された場合も少なくないことである。その担い手はこれらの地域に赴いた商人やイスラム神秘主義者(スーフィー)たちであった。また、戦争の家からイスラムの家に組み込まれた啓典の民であるユダヤ教徒やキリスト教徒(のちには拡大解釈が行われ、ゾロアスター教徒やヒンドゥー教徒、仏教徒まで啓典の民として扱われるようになる)たちは、イスラムの主権を認めてムスリムの保護民(ジンミー)になることで満足すれば、信仰と一定の自治を認められ、改宗を強制されたり生命を脅かされたりすることはない。
時には、戦争の家に住む異教徒たちが、イスラムの家に対して戦争を仕掛けてくることもありえるから、このような場合にもイスラム共同体防衛のためのジハードがムスリムの義務となる。
ジハードに従事するものはムジャーヒドと言う。彼らに対して、神はコーランを通じて「神の道に戦うものは、戦死しても凱旋しても我らがきっと大きな褒美を授けよう」と教え、ジハードで戦死すれば殉教者として最後の審判の後必ず天国に迎えられると約束する。一方で、コーランは「敵に背を向けるものは、たちまち神の怒りを背負い込み、その行く先はジャハンナム(地獄)」と語り、ジハードの忌避を激しく非難している。
しかし、戦争が神の道を実現するためにふさわしい努力行為、ジハードとして正当な戦争たりうるためには、異教徒がイスラム共同体に対して戦いを挑み、不義をなした場合に限られるともコーランは説いているから、異教徒たちがイスラム共同体と一時の和平を結び、不義の戦争を停止しようとしているならば、イスラム共同体の側も異教徒に対する害意を捨てて和平を認めねばならない。この論理により、イスラム共同体はイスラムとの戦いを望まず正義を認める「戦争の家」の諸国とは条約を結び、外交関係を樹立することができる。
このような理念を持つ外へのジハード行為は日常においては個々人のムスリムの義務ではなく、全体としてのムスリムの義務であって、個々人のムスリムはジハードを間接的に支援するだけでも良いとされる。しかし、戦争がジハードとして行われることが必要となれば、統治者(カリフやスルタン)はムフティーにその戦争がジハードとして認められるかどうかを諮問し、合法であるとするファトワーを得ることでジハードを宣言し、そのジハードである戦争への参加を個々のムスリムの義務として彼らを動員することが可能となる。
なお、ムスリムであっても、イスラムの信仰に逸脱する信条を抱くようになったものは不信心者(カーフィル)と呼ばれ、戦争の家に住む異教徒以上にすみやかにジハードによって打倒されなくてはならない悪であると見なされる。かつてスンナ派のオスマン帝国とシーア派のサファヴィー朝が領土を巡って戦争するときは、お互いを不信心者と決め付けることによってその戦争をジハードと位置付け、戦争の正当性を確保したし、イラン・イラク戦争においてイラン側が世俗主義を標榜するバアス党政権のイラクに対して激しい敵意を抱いたのはこの思想のためである。
歴史的に見れば、ジハードの語は個々の戦争の正当化の論理として用いられることが多かった。全イスラム共同体がジハードの意識を高め、異教徒との戦いにあたったのは、イスラム世界を侵略し、多くのムスリムを殺害した十字軍が中東に出現した時代に見られるのみである。第一次世界大戦のときオスマン帝国が発したジハードの宣言も、インドのムスリムの対英協力やアラブ人の反乱を押し留めることはできなかった。
しかし一方で、19世紀には主にイスラム世界の辺境である西アフリカ、マグリブ、スーダン、インドや東南アジアで、ジハードを宣言する反植民地主義、反帝国主義の戦いが頻発し、防衛のためのジハードの意識は高まってゆく。20世紀にはイスラエルの拡大と戦うパレスチナのハマースやソビエト連邦の侵攻と戦うアフガニスタンのムジャーヒディーン運動の中に、防衛ジハード思想を見出すことができる。
近年には、政治的な動機による戦争の正当化や、過激派のテロリズムを正当化する標語として、ジハードの語がきわめて頻繁に用いられ、本来ジハードの宣言を行う資格のない者がジハードを唱える局面が増えつつある。しかし、ジハードを標榜する政治家やテロリストの言葉がある程度のムスリムの人々をひきつけているのは事実として認められる。これは、欧米が支援する(と少なくともムスリムは考えている)イスラエルがパレスチナのムスリムたちを追いやり、殺害していることや、アメリカの空爆がアフガニスタンやイラクの独裁政権のみならず、無辜のムスリム民衆たちまでをも死に追いやっている現実に対するムスリムたちの怒りがあり、「いまこそがイスラム共同体を防衛するためジハードを行うべきときである」という政治家やテロリストたちの言葉に、彼らが多かれ少なかれ共感を抱くからに他ならない。
日本においては、聖戦という訳が与えられるジハードという語には、ジハードとは異教徒に武力によって改宗を迫る行為(コーランか剣か、左手にコーラン、右手に剣)であるとするプロトタイプの認識がつきまとうようである。しかし、それはイスラム帝国の拡大や十字軍に対する抵抗の歴史を読み誤ったキリスト教徒の人々の誤解から始まったと言ってよく、認識は改められつつある。
しかし同時に、近年のオサーマ・ビンラーディンによるアメリカ同時多発テロや、サッダーム・フセインによるイラク戦争のジハード宣言は、粗暴なムスリムの過激な聖戦というイメージを改めて日本の社会に植え付けつつあるように思われる。
また、一種のオリエンタリズムではあろうが、中東とヨーロッパの接触と衝突の歴史あるいはイスラム過激派のアンダーグラウンドなイメージを想起させる、ロマンティックかつエスニックなキーワードとして、ジハードという言葉が独特の人気を集めることがあるようであり、小説などの作品の題やロックバンドの名前として用いられることがある。
外へのジハード
である。イスラム教とシャリーアの理念においては、世界の理想的な姿はイスラム共同体の主権が確立され、シャリーアが施行される領域、ダール・アル=イスラーム(イスラムの家)に包摂されていなければならない。しかし、現実には「イスラムの家」の外部には、イスラム共同体の力が及ばないダール・アル=ハルブ(戦争の家)が存在するから、戦争の家をイスラムの家に組み入れるための努力、すなわちジハードを行うことはムスリムの義務とされる。関連項目
ジハードのイメージ
ジハードの語を名前に使用する作品