山名氏は山陰・山陽・近畿に11ヶ国を領有し”六分の一殿”と称される勢力を誇っていたが、1391年、山名氏清のとき明徳の乱を起こして足利義満に勢力を削がれた。
1441年、宗全のとき嘉吉の乱鎮圧に功をたてて播磨国など8ヶ国の守護職を兼務して再び権勢を得て、娘婿でもあった細川勝元と対立した。応仁の乱では西軍を率いて戦ったが、勝敗を決することなく病死した。