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古来中国では劓(鼻切り)を大辟(死罪)・刵(耳きり)・椓(宮刑)・黥(墨刑=入墨刑)と共に主要な刑罰(五刑)の一つとされていた。しかし漢代になると宮刑を除く肉刑は全て廃止された。
※史料によっては刵(耳切り)を剕(足切り)とする物がある
織豊時代には豊臣秀吉が伴天連追放令を無視してキリスト教を布教していた伴天連や吉利支丹に対し、処刑の前に耳鼻を削いで京都市中を引き回していた例(二十六聖人の殉教)が残っている。
江戸時代に入ると劓(鼻切り)は追放刑の付加刑として位置づけられるようになった。しかし寛永年間に入墨刑に置き換えられ、劓(鼻切り)は、一部地方を除き廃止された。なお享保期に入ると抜荷に対する罰則として限定的に復活し、明治時代に至った。
刑罰(中国)
刑罰(日本)
日本へは中国から律令制と一緒に伝わったとされ、平安時代頃から劓刑に関する記述が見られるようになる。主に窃盗や博打に対する刑罰として科していたようである。戦功の証明品として
日本では戦における戦功の証明として討ち取った敵に劓(鼻きり)を行い、切り取った鼻を戦功の証明として用いることがある。切り取った鼻はほとんどの場合軍目付に提出され、戦後大将が行う首実検によって討ち取った者の武功が判定された。