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1955年に当時の通産省が発表した国民車構想に対するトヨタ自動車の回答であった。
国民車の性能
1956年7月より試作を開始。当初の計画では豊田英二(当時専務)の陣頭指揮下前輪駆動車で いく事となり一次試作車もそれで完成したが、後を受けた長谷川龍雄主査の下した決断は700cc のFR車であった。実績のない前輪駆動車は彼に与えられた僅か2年の開発期間では不可能である との結論からであろう。当時500ccには税制上の特典を設けるという行政の触れ込みであったが、 あまりに非力で高速化時代に対応できないとの判断であった。
車名のパブリカは当時流行していた公募によりパブリック・カーから造られた造語。国民車 に相応しい名であった。
1961年6月発売された当時はそのあまりのシンプルさに”夢”を見ることが出来なかった市場から 支持されずに低迷、2年後に追加されたパブリカ・デラックス、コンバーチブルをもって漸く月販 3000~4000台の当初の予定台数に乗った。
新発売当時の価格は38.9万円、メッキ部品も殆ど無くフェンダーミラーも装備されていない。 その最初期型は現在トヨタ博物館で見ることができる。