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キプロス(現代ギリシャ語:Κύπρος、トルコ語:クブルス(Kıbrıs)、英語:サイプラス(Cyprus)。古典ギリシャ語では「キュプロス」と発音)は、正式名称キプロス共和国で、東地中海のキプロス島に位置する国。ヨーロッパとも西アジアとも分類される。首都はニコシア。
ギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家。1974年以来、南北に分断されており、島の北部約37%を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による「北キプロス・トルコ共和国」が占めている。
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| 国の標語: なし | |||||
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| 公用語 | ギリシャ語、トルコ語、英語 | ||||
| 首都 | ニコシア | ||||
| 大統領 | タソス・パパドプロス | ||||
| 面積 - 総計 | 世界第161位 9,251km² | ||||
| 人口 - 総計(2002年) | 世界第155位 771,657人 | ||||
| 通貨 | キプロス・ポンド | ||||
| 時間帯 | UTC +2 | ||||
| 独立 - 宣言 - 承認 | 英国より 1960年8月16日 | ||||
| 国歌 | 自由の賛歌 | ||||
| ccTLD | .CY | ||||
| 国番号 | 357 | ||||
| 註:数値は、「北キプロス・トルコ共和国」を含む。 | |||||
| Table of contents |
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2 政治 3 (地域区分) 4 地理 5 経済 6 人口統計 7 文化 8 キプロス問題 9 関連項目 10 外部リンク |
キプロス島は東地中海を往来する諸民族、諸文明の中継地となったため、その歴史は古い。紀元前にはヒッタイト、アッシリア、エジプト、ギリシャなどの支配を受けた後、紀元前76年にローマに併合された。ローマ帝国の支配下でキリスト教が伝えられ、ローマ帝国の分裂後も東ローマ帝国(ビザンツ)の支配下に留まった。
キプロスは1191年に十字軍の途上にこの島に立ち寄ったイングランド王リチャード1世によって征服され、フランク人(西ヨーロッパ人カトリック教徒)の支配するキプロス王国が建国される。キプロス王国は1470年に相続者を欠いたことから断絶し、ヴェネツィア共和国がキプロスを植民地として手に入れた。
1571年にはオスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪い、キプロス州を置く。エジプトの植民地化を進めていたイギリスはこの島の戦略的価値に目をつけ、1878年、露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便宜を図った代償にイギリスがキプロス島の統治権を獲得。さらに1914年、同年勃発した第一次世界大戦でオスマン帝国が敵対したのを理由に正式に併合した。
第二次世界大戦後、ギリシャ併合派、トルコ併合派による反イギリス運動が高まったため、1960年にイギリスから独立。しかし1974年にギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍が北キプロスを占領し、1983年にトルコのみが承認する「独立国家」北キプロス・トルコ共和国が建国されて、南北分断状態にある。(詳しくは、キプロス問題を参照)
和平交渉は国際連合の仲介により何度も行われ再統合が模索されているが、解決を見ていない。南北キプロスを隔てる境界線(グリーンライン)には国連キプロス平和維持軍 (UNFICYP) が駐留して監視している。
1960年の独立時に制定されたキプロス共和国の憲法は、ギリシャ系住民とトルコ系住民の人口バランスに配慮して、元首である大統領をギリシャ系とし、その行政権限を分掌し拒否権を持つ副大統領をトルコ系からそれぞれ選出し(任期5年)、国会議員、官吏、軍人などの人数も比率が7対3になるように定めている。一院制の議会(任期5年)はギリシャ系(56人)とトルコ系(24人)で別々に選挙を行うことになっているが、1974年に南北分断された後は、トルコ系の定員は空席となっている。
北キプロスには公選の大統領がおり、一院制の議会(定員50人、任期5年)で選出される首相とともに行政を行う。1983年の独立後、1985年に北キプロスで最初の選挙が行われたが、この手続きを国際的に承認しているのはトルコのみである。
地図中、Area controlled by Cyprus Govermment (Greek area)がキプロス共和国政府(ギリシャ系住民)が支配する地域、Turkish Cypriot-administered areaが「北キプロス・トルコ共和国」の名でトルコ系住民が分離独立を主張している地域で、両者の間には国連の引いた緩衝地帯(Buffer Zone)がある。斜線部分は独立以後も残されているイギリス軍の基地で、この領域にはキプロス共和国政府の主権は及ばずイギリス主権の下に置かれている。
地中海性気候で、夏は暑く、乾燥する。北部は海岸線に沿って山脈があり、首都ニコシアを中心とする中央部が平坦地となっている。南部は大部分が山地で、海岸線に沿って狭隘な平地がある。
民族の帰属意識はおおむね信仰する宗教と一致しており、正教徒のギリシャ系が78%、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ系が18%であるとされる。その他の4%にはマロン派とアルメニア正教会派のキリスト教徒がいる。キプロスの正教会はイスタンブールのコンスタンティノープル総主教庁にもアテネのギリシャ正教会にも属さず、大主教を長とするキプロス正教会のもとに自治を行っている。
ギリシャ系とトルコ系は歴史的にキプロス島の全域で混住していたが、1974年の南北分断の際、北部に住むギリシャ系住民の大半はトルコ軍の支配を嫌って南部に逃れ、南部に住むトルコ系住民の多くが報復を恐れてトルコ軍支配地域に逃れた結果、ギリシャ系の99.5%が南キプロスに、トルコ系の98.7%が北キプロスに住む。その他の系統の住民は、99.2%が南キプロスに居住している。なお、経済的に苦しい北キプロスではかなりの数のトルコ系住民がトルコやヨーロッパに出稼ぎに移住した一方、トルコから多くのトルコ人が流入したため、トルコ系キプロス人の正確な人口を割り出すことは難しい。
道路は、イギリス植民地時代の名残で左側通行である。
主要産業は観光業である。ヨーロッパからの観光地として人気があり、1980年代から1990年代に大きな経済成長を遂げたが、観光産業に依存するためヨーロッパでの景気の変動に弱い。2004年には欧州連合 (EU) に加盟予定で、観光客の増加が期待される。
南キプロス(キプロス共和国のギリシャ系支配地域)は観光業を含むサービス産業に労働人口の62%が従事し、GDPの70%を占める。天然資源に乏しく、食料の自給も難しいため、貿易は大幅な輸入超過である(輸出約10億ドルに対して輸入は35億ドルを越える)。
北キプロスは、南キプロスに比べて経済的に遅れており、一人あたりGDPは3分の1しかない。国際的にはトルコにのみ独立を承認された国家であるために貿易や外国からの資本導入が難しく、通貨もトルコのトルコリラを用いるため、1990年代のトルコリラのインフレーションの影響を受けて苦しい状況にある。
キプロスはビザンツ帝国の支配下でギリシャ語を話す正教徒が大多数を占めるようになっていたが、オスマン帝国支配下で、トルコ語を話すムスリム(イスラム教徒)が流入し、トルコ系住民が全島人口の2割から3割程度を占めるまでになった。
イギリス統治下のキプロスではエーゲ海の島々と同じくギリシャに併合されるべきという要求(エノシス enosis)がギリシャ系住民の間で高まり、1948年にはギリシャの国王がキプロスはギリシャに併合されるべきとの声明を出し、1951年にはギリシャ系住民の97%がギリシャへの併合を希望していると報告された。一方のトルコ系住民の間ではキプロスを分割してギリシャとトルコにそれぞれ帰属させるべきとの主張(タクスィム taksim)がなされており、キプロスの帰属問題がイギリス、ギリシャ、トルコの3か国の間で協議された。その結果、中間案として1959年、チューリッヒでキプロスの独立が3国間で合意された。
1960年、ギリシャ系独立派の穏健的な指導者であったキプロス正教会のマカリオス大主教を初代大統領としてキプロス共和国は独立を果たした。しかし、1963年には早くも民族紛争が勃発し、翌年国連平和維持軍が派遣された。
さらに1974年7月15日にギリシャの軍事政権の支援を受けた併合強硬派がクーデターを起こしてマカリオス大統領を追放。トルコはこれに敏感に反応し、7月20日キプロスに侵攻した。これにより7月22日にクーデター政権が崩壊するが、トルコ軍はキプロス分割問題の解決をはかって8月13日に第二次派兵を敢行し、首都ニコシア以北のキプロス北部を占領した。トルコの支持を得たトルコ系住民は翌年、キプロス共和国政府から分離してキプロス連邦トルコ人共和国を発足させ、政権に復帰したマカリオスの支配するギリシャ系の共和国政府に対して、連邦制による再統合を要求した。
1970年代以来、南北大統領の直接交渉を含む再統合の模索が続けられているが、分割以前の体制への復帰を望むギリシャ系キプロス共和国と、あくまで連邦制を主張するトルコ系北キプロスとの主張の隔たりは大きく、再統合は果たされてこなかった。1997年にキプロス共和国がEU加盟候補国となったことは、国際的に孤立し経済的に苦しい北キプロスにとっては大きな危機であったが、その後の国連の仲介案を得た統合交渉も不調に終わった。
しかし、2004年5月1日のキプロスのEU加盟を前に、北キプロスが政治的経済的に取り残されることを避けるため、同年2月9日より国連のコフィ・アナン事務総長の仲介で南北大統領によって再び行われている統合交渉は、2月13日国連案に基づく連邦制による再統合を目指し、4月中の住民投票実施によりEU加盟と同時に再統合が行われるよう住民投票原案を作成することで原則合意に達した。歴史
政治
(地域区分)
地理

経済
人口統計
文化
キプロス問題
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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関連項目
外部リンク
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