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スーダン(Jumhuriyat al-Sudan')は北アフリカに位置する、アフリカ大陸最大の国。国土の大部分は広大な平原で、ほぼ中央をナイル川とその支流が縦貫する。北部はヌビア砂漠、中部は砂丘地帯、南部は沼沢地帯となっている。北部は砂漠性の乾燥気候、南部は多湿な熱帯気候。北部の砂漠と紅海沿岸は一年中、日中の気温が38℃を超す炎熱の地。
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| 国のスローガン : Xxxxx | |||||
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| 公用語 | アラビア語 | ||||
| 首都 | ハルツーム | ||||
| 大統領 | オマル・ハッサン・アフメド・アル・バシル | ||||
| 面積 - 総計 - % 水域 |
世界第10位
2,505,810 km² 5,2 % | ||||
| 人口
- 総計(2002年) - 人口密度 |
世界第33位
37,090,298人 15 人/km² | ||||
| 独立 | 1956年1月1日 | ||||
| 通貨 | スーダンディナール | ||||
| タイムゾーン | UTC +3 | ||||
| 国歌 | スーダンの国歌 | ||||
| ccTLD | .SD | ||||
| 国際電話番号 | 249 | ||||
| Table of contents |
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2 内戦 3 経済 4 軍事 5 外部リンク |
19世紀初めにエジプトのムハンマド・アリー朝に征服されたが、1883年にマフディの乱でエジプト軍を撃退。1898年エジプトと英国が制圧し、1899年から両国による共同統治下に。1954年自治政府が発足し、1956年1月1日に独立した。
1969年5月、陸軍のクーデターで革命評議会(ヌメイリ議長)が全権を掌握、国名をスーダン共和国からスーダン民主共和国に。1971年ヌメイリは大統領に就任した。ヌメイリ政権は1983年9月にイスラム法を導入、これに反発する南部の黒人有力民族ディンカ人(キリスト教徒)を主体とするスーダン人民解放軍(SPLA)がゲリラ闘争を拡大。1984年からは干ばつとエチオピアからの難民流入で経済困難に陥った。1985年12月国名をスーダン共和国に戻した。1986年4月、議会選でサディク・マハディ首相による文民政権が成立。
1989年6月30日、バシル准将がイスラム原理主義組織「民族イスラム戦線(NIF)」と連携し無血クーデター。バシルは革命委員会を設置して非常事態を宣言、自ら元首、首相、革命委員会議長、国防相に就任。バシル政権はNIFの主張に沿ったイスラーム化を推進。最高機関だった革命委員会は1993年10月、民政移管に向け解散。同委員会の権限は内閣に委譲され、バシルが首相を兼任したまま大統領に就任。1996年3月、議会選で欧米諸国との関係改善を図るバシル大統領派が圧勝。
1998年5月、政党結成の自由などを含む新憲法の可否を問う国民投票を実施。96.7%が賛成し成立。1989年以来禁止されていた政党活動が解禁となった(政党登録開始は1999年1月)。バシル大統領の権限縮小を狙う国民議会のトラビ議長との確執から、大統領は1999年12月に非常事態を宣言し国民議会を解散。内閣も総辞職し、2000年1月に親トラビ派を排除した新内閣が発足。トラビはバシル政権与党「国民会議(NC、NIFを母胎とするイスラム原理主義政党)」の書記長を解任された。トラビは新党「人民国民会議(PNC、イスラム原理主義政党)」を結成し対抗。12月に議会選、大統領選が行われ、バシル大統領とバシル派政党が勝利。野党はボイコット。2001年2月、PNCとSPLAがスイスのジュネーブで内戦終結や民主化に向け協力するとの覚書に調印。政府はトラビらを逮捕して対抗した。
バシル大統領は2002年8月19日、小規模な内閣改造を実施。中道イスラーム政党「ウンマ党(UP)」の分派メンバーを閣僚に登用。さらに11月30日には中道リベラル政党「民主統一党(DUP)」の分派メンバーも入閣。野党勢力の取り込みを図ることで、SPLAとの和平交渉と併せてバシル政権の柔軟姿勢を示した。
1989年後半からキリスト教徒のSPLA、イスラム原理主義のバシル政権双方の衝突が南部で激化。1995年3月、米国のカーター元大統領の仲介で一時停戦が実現。1996年 SPLA と国民民主同盟(NDA、エリトリアに拠点)が政府に対する共闘を開始し、内戦が拡大。1997年4月、SPLAを除く反政府勢力4派と政府が和平協定に調印。1998年5月4日、政府とSPLAの代表がケニアのナイロビで約半年ぶりに和平交渉を再開する一方、東南部で戦闘は継続。
エジプトとリビアによる仲介工作、スーダンと隣国6ヶ国でつくる政府間開発機構(IGAD)による仲介に加え、スーダンの石油資源に関心を示す米国が2002年1月に特使を派遣、積極的な調停に乗り出した。7月20日、政府とSPLAは、SPLAが実行支配する南部の帰属をめぐる住民投票を2008年に実施することなどを柱とする和平の枠組みに合意。27日、バシル大統領とSPLAのジョン・ガラン最高司令官がウガンダのカンパラで初会談。8月12日からケニアのマチャコスで包括的和平合意を目指した交渉が再開されたが、SPLAが南部の要衝トリトが武力制圧したことなどを受け中断。2003年1月に交渉を再開することで両者は合意。
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