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徳川吉宗

徳川 吉宗(とくがわ よしむね、貞享元年十月二一日-宝暦元年六月二十日、1684年-1751年)は、江戸幕府の八代征夷大将軍。在職は享保元年八月十三日-延享二年九月二五日(1716年 - 1745年)。

徳川御三家紀伊藩主徳川光貞の四男として生まれる。母は、巨勢氏おゆり。幼名は源六元禄十年(1697年)に越前丹生3万石の藩主となり、乏しい財政を経験。宝永2年(1705年)に長兄・綱教、次兄・頼職が病死し、紀州藩5代藩主に就任。吉宗と改名。 藩政の改革に手腕を発揮する。宝永三年(1706年)に二品親王伏見貞致王女真宮理子姫と結婚。

享保元年(1716年)に七代征夷大将軍徳川家継が亡くなり、徳川将軍家の血筋が途絶えた後を受け、御三家の中から家康に一番血統が近いという理由で、征夷大将軍に就任。

藩政の経験を生かし、新田開発を推進、官僚機構を整備し、逼迫した幕府財政の立て直しを図った。(享保の改革)

徳川吉宗の業績

延享二年九月二五日(1745年)、将軍職を子・家重に譲位。宝暦元年六月二十日(1751年)、死去。享年68歳。

自ら質素倹約に努め、着物は木綿、食事は朝夕の二回とし、献立も「一汁三菜」とした。この質素倹約と武芸の奨励によって、武士たちの精神を引き締めた。

生活の安定をはかって米価の調節につとめたため、「米将軍」と呼ばれた。

大岡忠相が地方の役人だったところを、紀伊藩主時代に見出し重用して江戸に来る時に一緒に連れてきた。また、飛鳥山や墨田川堤などへ桜の植樹をしたことでも知られる。

吉宗は、身長が六尺(約180cm)を超える大男で、色が黒く、力持ちだったといわれている。

また、尾張の徳川宗春は、倹約令など無視しておおいに贅をつくし、吉宗とは対極にあったことで知られる。

先代:
徳川家継
徳川将軍一覧 次代:
徳川家重

関連項目


吉宗を題材にして、人気を博したテレビドラマは「暴れん坊将軍」を参照。 また、NHKの大河ドラマ「男は度胸」「八代将軍吉宗」が吉宗を主人公にしている。




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