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| 国のスローガン:なし | |||||
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| 公用語 | スペイン語 | ||||
| 首都 | ハバナ | ||||
| 国家評議会議長 閣僚評議会議長 | フィデル・カストロ | ||||
| 面積 | 110,922km2 | ||||
| 海抜 | 最低0m、最高2005m (Pico Turquino) | ||||
| 人口 | 1,121万人 (2001年) | ||||
| 人種構成 | 混血51%、白人37%、 黒人11%、中国系1% | ||||
| 識字率 | 全体95.7% 女性95.3% 男性96.2% (1995年調査) | ||||
| 独立 | 1902年5月20日 | ||||
| 国歌 | La Bayamesa | ||||
| 通貨 | キューバペソ | ||||
| 標準時 | UTC-5 | ||||
| ccTLD | .cu | ||||
| 国際電話番号 | 53 | ||||
| Table of contents |
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2 歴史 3 経済 4 文化 5 関連項目 6 参考文献 7 外部リンク |
地理
キューバ本島はカリブ海で最大の島であり、長さは1200km、幅は191kmから31kmに及ぶ。島は長くて狭く、海岸線には入江、湾、砂州や大小の岬、半島があるが、その地形からして水量の豊かな長い川は存在しない。島の4分の1は山岳地帯となっている。最高峰は標高2000mのトルキノ山で東部山系のマエストラ山脈に属している。しかし、東部と中部、そして西部の山岳地を除けば大部分は200m以下の傾斜地や平坦地であり、土壌も良好で、農業生産に適した土地であるということもできる。
南北アメリカの間の恵まれた位置から、かつては「メキシコ湾の真珠」とも呼ばれた。北にはフロリダ海峡とバハマ水域、南にはカリブ海とジャマイカ、西にはユカタン海峡、東にはパソ・デル・ビエントス海峡によって隔てられているハイチ共和国がある。
1977年に14の州と169の自治体に再編成され、「青年の島」は特別自治体*に指定されている。州は西から東に向かって、
しかしグァンタナモ湾には、1903年以来、現在にいたるまでアメリカ合衆国(米国)の軍事基地、グァンタナモ基地がある。
独立闘争は1868年に始まり、1898年のスペイン・アメリカ戦争(米西戦争)による米国の介入まで続いた。米国の勝利より1902年5月20日、400年に及ぶスペイン支配から解放され、形式的ではあれ独立を勝ち取ったが、それは同時に米国による支配の始まりでもあった。この年、キューバ国憲法に盛り込まれたプラット修正条項(Platt Amendment)には、米国の内政干渉権、グァンタナモ、バイア・オンダの二箇所に米国の軍事基地を置くなどが盛り込まれ、実質的には米国の統治下におかれた。
米国の支配は、フルヘンシオ・バティスタ(Fulgencio Batista)の登場で頂点に達した。1933年からキューバ政治の主役を演じてきたバティスタは、1952年にクーデタで政権を奪取し独裁政治を開始。バティスタ政権・米国政府・米国企業・マフィアという4者によって富を独占、富は米国本土に流れるようになる。
1953年7月26日、フィデル・カストロ(Fidel Castro)率いる青年たちが蜂起(モンカダ兵営襲撃)し、失敗に終わった。投獄されたカストロは、恩赦によって出獄すると反政府組織「7月26日運動(M26)」を結成、同志とともにメキシコに亡命した。この地でアルゼンチン人医師のチェ・ゲバラと出会ったカストロらはゲリラ戦訓練を受け、1956年12月にヨット「グランマ」号にのってキューバに上陸。シエラ・マエストラ山脈を拠点として政府軍を相手に2年余りのゲリラ闘争を行った末、ついに1959年1月1日バティスタを国外逃亡に追い込み、これによって革命政権が誕生した。バティスタ政権という傀儡政権を失った米国は、革命政権とは別の政権樹立に向けた動きを見せていたが、5月に革命政権により実施された徹底した農地改革に直面したことによって、革命政権を敵視するにいたった。おりからの米ソ対立の影響を受け、米国に敵視された革命政権はソ連に接近し、1960年にソ連と正式な外交関係を結んだ。
米国政府との対立が決定的になると、キューバ政府は国内からの米国企業の排除に努め、米国資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化する。1961年、米国政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。そして1962年2月3日に米国のケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を行うと発表した。
国連総会は11月4日、米国の42年間におよぶ対キューバ通商禁止解除を求める決議を可決(賛成179、反対3、反対はイスラエルとマーシャル諸島、アメリカ合衆国。この決議は今年で12回目)。米国上院はさらに、外交委員会が渡航禁止解除を決議(11月6日)。
ブッシュ政権は来年(2004年)の大統領選に向け、大票田、フロリダ州のキューバ系米国人票をつなぎ止めるため、上下両院で可決された法案に対し拒否権発動の姿勢を崩さない。キューバとの通商はフィデル・カストロを利するだけで、一般のキューバ人への利益にはならないというのがブッシュ政権の説明。
米国が農産物を輸出する国として、2年前、キューバは第208位であったが、現在は第35位を占めるまで急上昇している。また、かつては世界で有数の砂糖生産国であったキューバも、現在さとうきび畑の大部分を転作化、先頃開かれていたハバナでの国際貿易フェアで、米国からの参加者に砂糖の輸入を打診した。
表向きは経済制裁を継続していたはずのクリントン政権時代にハバナの米国利益代表部は大改築を行ない、現在は巨大なビルへと変貌している。
1996年、ソ連崩壊と、相次ぐ米国の経済制裁法(トリチェリ法、ヘルムズ・バートン法)によって一時は食糧不足に苦しんだこともあったが、現在は、カナダやヨーロッパからの観光客も増加して活況を呈するようになってきた。
それでも近年、主要産業であった砂糖の減産、砂糖の国際価格の低迷、アメリカ同時多発テロの影響による観光収入の減少、ハリケーン災害、エネルギー供給不足等により、経済状況は楽とはいえないが、キューバの主要産業となった観光業は2003年前半は好調、6月末には100万人を突破した。
気候
キューバの気候は亜熱帯性海洋気候で、年間の平均気温は摂氏25.5度、夏の気温は27度、冬の気温は21度である。貿易風が吹くため、暑い夏も比較的しのぎやすい。とはいえ、冬でも日中は25度以上になる。乾期は11月から4月、雨期は7月から10月。ハリケーンは9月と10月に多い。歴史
キューバは1492年10月27日、コロンブスの第一次航海で「発見」された島である。当時、島には先住民がいたが、植民地化が進むとともにほぼ絶滅したとされる。スペイン人によるキューバの植民地化は同時に砂糖産業、奴隷産業を盛んにし、キューバはスペインと中南米の中継地点として著しく発展を遂げる。19世紀初め、それまでスペインの専売だった葉巻の販売が自由化されると、キューバは砂糖に加えて葉巻の通商でも富を得るようになり、キューバ国内ではしだいに独立の気運が高まった。略年表
最近の動向
アメリカ合衆国下院は2003年9月9日、米国人のキューバ訪問禁止解除の法案を可決(今回で4度目の可決、賛成227、反対188)。10月23日には上院も同趣旨の法案を可決(賛成59、反対38)。いずれもブッシュ大統領の所属する共和党主導で行なわれた。連邦財務省の試算によれば、2002年に合法的にキューバを訪問した米国人は約16万人で、うち半数はキューバ系米国人、ほかに人権団体、教育関係者、ジャーナリスト、外交官など。それ以外に罰金・禁固刑のリスクをかえりみず、カナダ、メキシコ経由で違法にキューバ渡航する者も多いと財務省当局はみている。レーガン大統領の時代、罰則は25万ドルの罰金と10年の懲役へと引き上げられている。渡航禁止が解除された場合、初年度の渡航者は100万人に達すると財務省は試算。経済
伝統的主要産業は砂糖、ニッケル、海産物である。1990年代初頭、経済的に依存していたソ連圏の崩壊でキューバ経済は打撃を受けた。この厳しい状況から脱却を図るため、1993年頃より外貨所持解禁、自営業の一部許可、独立採算制の農業組合制度をつくり、経済・財政改革措置を実施、また観光・資源部門での外資誘致を積極化した。農業分野においてはモノカルチャーの砂糖生産依存から脱皮を図るため、有機農業(organoponicos)へのシフトが顕著となっており、日本の生協などとの取り引きも行なわれるようになっている。文化
宗教
カストロ政権前は85%がカトリックであった。その他にプロテスタント、エホバの証人、ユダヤ教、サンテリアなどがあげられる。言語
公用語はスペイン語であるが、観光業に力を入れていること、米国本土に近いこと、そして公教育の普及率(国民の大半は高校を卒業している)などから、ホテル、レストランなどはもちろん、ほとんどの地域で英語が通じる。祝日
関連項目
参考文献
外部リンク
simple:Cuba