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十五年戦争

20世紀の初頭、日本中国大陸への圧力を強めていったことに起因する対中侵略と抗日運動が展開した、1931年満州事変から日中戦争太平洋戦争(大東亜戦争)の1945年の終結に至るまでの延べ15年間の戦争を、十五年戦争と呼ぶことがある。

ただし、満州事変(1931年-)は塘沽協定(1933年)で終了し、日華事変(1937年-)とは別々の戦争であり、これを纏めてしまうのは非合理的だとする意見もある。

略年表

1930年以前

1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年 1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年

背景

明治から昭和にかけて日本は飛躍的な発展を遂げたが、社会が固定化するにつれ貧富差が拡大し、昭和恐慌はその傾向を助長し、社会不安が増大した。その不安を背景に軍部が実権を握り(徴兵制のおかげで軍部は下層階級の意見が通りやすい組織でもあった)、侵略戦争を起こす膨張戦略をとることによって、恐慌を打破しようとしたのが十五年戦争の始まりと考えられる。

戦争は当初は日本軍にとって順調に推移し、日本は満州という新たな殖民国家を得たが、さらに中国本土まで侵略の手を伸ばしたため、泥沼の日中戦争に追い込まれていく。日本の膨張主義はイギリスやオランダなどの周辺諸国、特にアメリカの警戒心を刺激し、日本は経済制裁を加えられる。1941年の各国の最後通牒に反発した日本は、逆に欧米の太平洋や東南アジアの領土を攻撃し、太平洋戦争(大東亜戦争)が始まる。

日本軍首脳部は、アメリカとの膨大な生産力差を精神主義と早期講和で乗り切ろうとするが、結局、経済力で遥かに勝る米国に押し切られて敗戦を迎える。

十五年戦争は日本において三百万の死者、中国において極めて多いの死者(一説には1~2千万)を出した未曾有の惨事であったが、現在においてもなお、この出来事を客観的に洞察し、そこから教訓を得ることができている日本人は少ないと言われる。盲目的な平和主義、あるいは逆に盲目的な「戦前」の肯定に逃げることなく、歴史的検証と他国理解に根ざした体系的な考察が求められている。

この戦争は、

社会不安→軍部台頭→膨張政策→諸国との摩擦→破滅的戦争→軍部崩壊→民主化
という発展途上国の近代化・民主化の典型的なパターンに沿っているものとも言える。




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