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サラエボ(Sarajevo, サライェヴォ)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都。標高約500mの高地に位置し、現在の人口は約40万人である。
オーストリアのフランツ・フェルディナント皇太子夫妻が訪問中の1914年6月28日、セルビア人青年に射殺されたサラエボ事件と、1984年に開催されたサラエボ冬季オリンピックで世界に名前を記憶されている。
サラエボの位置する盆地はアドリア海とバルカン半島内陸部を結ぶ交通の要衝で、資源も豊かであり、紀元前3世紀から人が居住していた。
15世紀末、ボスニア地方を併合して属州としたオスマン帝国は、ボスニア県(のちに州に昇格)支配の拠点として盆地内の、それまで小さな砦しかなかったミリャッカ川沿いのヴフルボスナの地に町を建設。16世紀前半にボスニア県知事ヒュスレヴ・ベイがモスクなどのイスラム教の宗教施設やバザールなどの公共施設を建設し、ボスニアの首都、商業の中心都市に発展した。サラエボ(Sarajevo)の都市名はトルコ語で「宮殿のある平地」を意味する「サライ・オヴァス(Saray Ovası)」に由来する。
ボスニアの多くの人々がイスラム教に改宗した結果、サラエボはバルカン半島におけるイスラム教・イスラム文化の中心都市となった。1908年にボスニアがオーストリア・ハンガリー帝国に併合された後も、数多くのイスラム教徒が住む町で、多くの優れた建築遺産を有する、オスマン時代の面影を残した都市である。
しかし、1992年に始まるボスニア内戦によって、甚大な被害を受けた。
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