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スコットランド王ジェームズ6世(Jemase IV、1566年6月19日 - 1625年3月27日、在位1567年7月29日 - 1625年3月27日)・イングランド王・アイルランド王ジェームズ1世(James I、在位1603年7月25日 - 1625年3月27日)。スコットランド女王メアリーとダーンリー卿ヘンリー・ステュアートの長子。

母メアリーの廃位に伴い、1歳と1ヶ月でスコットランド王として即位。しばらくの間摂政が置かれ、実質的な政務を執ることになった。
1579年、13歳のジェームズはフランス帰りのオウビーニュイ卿のエズメ・ステュアートに魅了され(ジェームズは、ホモセクシュアルで知られている)、彼を優遇した。じゃまになった当時の摂政モートン伯ジェームズ・ダグラスをダーンリー卿殺害に関与したとして、1581年1月に処刑した。しかし、翌1582年ガウリ伯ウィリアム・リヴァンの計略により、リヴァン城に軟禁された。翌年リヴァン城からの脱走に成功したジェームズは、1884年ガウリ伯を処刑し、直接統治を行うこととした。
親政に乗り出したジェームズは、当面の懸案であった宗教問題に取り組むことにした。当時のスコットランドの宗教界は長老主義の影響が強く、彼らは「聖職者の任命は国王ではなく、長老会議によるべき」と主張していた。ジェームズ6世は、1584年5月に「暗黒法(ブラック・アクト)」を発布し、国王が最高権威者であり、司教制度を謳い、国王や議会に反対する説教を禁止した。これに対する信徒の反発は強く、1592年には「黄金法(ゴールデン・アクト)」により「集会」を認めることとした。さらに、1598年には「司教国会議員」を認め、教会(カーク)の推す3人の司教に国会議員同様の立法活動を許すこととした。
1589年、ジェームズはノルウェー王フレデリーク2世の娘アン(アン・オブ・デンマーク)と結婚した。
1603年3月14日、イングランド女王エリザベス1世が死去すると、後継者として指名されていたジェームズがイングランド王として即位することになった。7月25日に戴冠し、イングランド王・アイルランド王も兼ねることになった。イングランドの宮廷に満足したジェームズは、これ以降スコットランドには1度しか帰ることがなかった。
1604年にイングランドの国教会や清教徒など宗教界の代表者たちを招いて会議を行った。この中で、ジェームズはカトリックと清教徒の両極を排除することを宣言した。これにより、カトリックと清教徒の両方から反感を買うことになった。1605年にはガイ・フォークスらカトリック教徒による、国王・重臣らをねらった爆殺未遂事件が起こった。
イングランド王としては、何ら見るべき実績を残すことなく、1625年3月27日にジェームズはシーアボールズ宮殿で亡くなった。
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