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コンゴ動乱

コンゴ動乱コンゴ民主共和国(旧ザイール)で起こった民族紛争。

同国は長くベルギー支配のもとにおかれていたが、1960年に独立した。しかし民族構成が複雑で統一性に欠けていたため、中央政府の足並みも乱れがちであった。独立直後の1960年7月に起こった軍の反乱が地方に拡大すると、南東部のカタンガ州(現シャバ州)がチョンベを指導者として分離独立を宣言。9月には南カサイもこれにならった。内乱が本格化する中でカサブブ大統領とルムンバ首相が互いに罷免しあうなど、中央政府内の対立も激化したため、軍司令官のモブツが一時政権を握る事態となった。

ルムンバは根拠地スタンリービル(現キサンガニ)へ脱出を図ったが1961年2月殺害されるが、これに先立ち1960年12月、ルムンバ派がスタンリービルを首都とする新政権の樹立を宣言し、カサブブのレオポルドビル(現キンシャサ)政権と対峙するなど、政情は混迷を極めた。この間、コンゴ内のベルギー人保護を口実にベルギー軍が派兵され、国連がその撤退を要求するなど、動乱は国際紛争の色彩も帯びた。その後1961年8月カサブブ派とルムンバ派の妥協が成立しアドウラ首相挙国一致内閣が発足。2政府対立状態は解消し、南カサイの分離も撤回された。

しかしチョンベ派が支配するカタンガは独立状態を維持し、軍事的に対抗する姿勢を示したため、1962年12月に国連軍が進撃を開始。これに屈したチョンベ派は1963年1月分離独立を撤回し、コンゴに復帰した。この間ソ連圏諸国はルムンバ派を支持し、一方カタンガの豊かな鉱産資源に利権を持つ欧米諸国は曖昧な態度に終始したため、紛争は長期化した。

1964年国連軍が撤退した後、ルムンバ派のムレレ、グベニエ、スミアロらが指導する反政府勢力がスタンリービルに新政権を樹立。ルムンバ派は武装闘争を展開し、一時は国土の半分を制圧する勢いを見せたが、米国やベルギーの支援を受けた中央政府によって1965年3月までに鎮圧された。





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