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原因
紀元前500年ころ発生したイオニア植民都市のペルシャへの反乱を、アテナイが支援したことに始まる。アテナイは海運国家でエーゲ海域に商業圏を確立しつつあったため、早晩、ペルシャとの対決は避けられなかった。またペルシャがギリシャ本土の征服を計画したことからスパルタなどとも交戦することになった。
戦争の経過
ダリウス1世は紀元前492年にギリシャに派遣した大艦隊がアトラス沖で暴風雨に遭って壊滅すると、紀元前490年には陸上軍をアッティカ東岸に送った。アテナイのミルティアデスは伝統の集団重装歩兵戦術(ファランクス) を駆使してペルシャ軍をマラトンで破った(マラトンの戦い)。
続いてダリウス1世の遺志を継いだクセルクセス1世が、紀元前480年、自ら大軍を率いてアッティカに侵入するとアテナイ・スパルタを中心とするギリシャ連合軍は、 レオニダス王率いる僅か300名のスパルタ軍がまずテルモピレーでペルシャ軍を苦しめ(テルモピレーの戦い)、テミクレスがサラミス沖の海戦でペルシャ海軍に壊滅的打撃を与えた。
翌、紀元前479年、体勢を整えたペルシャ軍はプラタイアでアテナイ・スパルタのファランクスと遭遇したが、司令官マルド・オスが戦死したことで撤退を余儀なくされた(プラタイアの戦い)。
この後、小競り合いが長く続いたが両者ともに決定的な戦果を上げることなく、紀元前448年に和睦が成立した。
結果
エーゲ海におけるアテナイの商業権益が認知されその全盛時代をもたらした。いっぽうペルシャ戦争に貢献のあったスパルタなど農業中心のポリスには、ほとんど恩恵がなかったことから、後にペロポネソス戦争が発生した。