Guajara in other languages: Spanish, Deutsch, English, French, Italian ...



バプテスマ

この記事は洗礼と統合されるべきです。

バプテスマとはギリシャ語のバプティスマを訳した語である。この語は「浸す」という意味の動詞バプトーから派生した語である。(ヨハネ 13:26)浸礼ともいう。ギリシャ語七十人訳聖書は、出エジプト記12章22節、レビ記4章6節で、「浸す」に相当するその同じ言葉の変化形を用いている。

幼児洗礼ではなかった

一部のキリスト教による理解では「その言葉を聞き」、「その言葉を心から受け入れ」、「悔い改める」ことが水のバプテスマに先行するという事実(使徒 2:14,22,38,41)、またバプテスマを受ける人には厳粛な決定を下すことが求められるという事実を考えれば、そのような人が、少なくとも聞いて、信じて、その決定を下すことのできる年齢に達していなければならないのは明白であるとする。

宗教史家のオーガスタス・ネアンダーは、1世紀のキリスト教徒についてこう書いた。
「幼児洗礼の慣行はこの時期には知られていなかった。……イエナエウス(紀元140年―203年頃)の時代にようやく幼児洗礼の形跡が現れること、またこれが3世紀になって初めて使徒伝承の一部として認められるようになったことは、それが使徒たちに由来するというより、そうではないことを証拠立てるものである。」(「使徒たちによるキリスト教会の植樹と整枝の歴史(英語)」、1864年、162ページ)

水を完全に浸す

初めに述べたとおり、バプテスマは水の中に完全に浸す、もしくは沈めることであり、単に水を注いだり、振りかけたりすることではない。聖書中の例はそのことを示している。イエスはかなり大きな川であるヨルダン川でバプテスマを受け、バプテスマを施された後に「水から上がられ」た。(マルコ1:10; マタイ 3:13,16)ヨハネは、バプテスマを施すためにヨルダン渓谷のサリムの近くの場所を選んだが、それは「そこに多量の水があったから」であった。(ヨハネ 3:13)エチオピアの宦官は、「水のあるところ」に来たときにバプテスマを受けることを願い出た。彼らはともに「水の中に降りて」いった。そして、その後「水から上がって」来た。(使徒8:36-40)これらの例はすべて、彼らが足首ほどの深さの小さな水溜りではなく、大量の水の中に入っていかなければならず、またそこから出てこなければならなかったことを暗示している。さらに、バプテスマが埋葬の象徴としても使われていたという事実も、完全に水中に沈むことを示唆している。―ロマ 6:4-6;コロ2:12。
この点について、『新カトリック百科事典』、(英語、1967年、第二巻、56ページ)は「原始教会におけるバプテスマが浸礼によるものだったことは明白である」と述べている。また、「ラルース20世紀」(フランス語、パリ、1928年)は、「初期クリスチャンは、水のあるところならどこでも浸礼という方法でバプテスマを受けた」と述べている。

関連項目





Wikipedia - All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.

Tagoror dot com  -  Legal Information  -  Contact us