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シチリア島(英語ではシシリー島)は、イタリアのシチリア自治州がある、地中海最大の島である。
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2 地理 3 交通 4 芸術 5 歴史 |
シチリア島は、二千年以上前から穀物の生産地である。
その後、ギリシャはカルタゴと戦争状態に入った。カルタゴは、シチリア島の南西のそれほど遠くないアフリカ本土にあり、シチリア島に植民都市もあった。
第一次シチリア戦争と第二次シチリア戦争において、カルタゴはシチリア島からギリシャを駆逐しようとし、両軍が多大な犠牲を払った。
第三次シチリア戦争で、カルタゴはシラクサとメッシーナが支配する島の東部を除いた他の領域を支配下においた。
紀元前256年、シラクサに侵攻されたメッシーナは、ローマに救援を求め、これがローマとカルタゴによる第一次ポエニ戦争の発端となった。戦争の終結する紀元前242年には、シチリア島全域がローマによって占領された。
第二次ポエニ戦争でのカルタゴの初戦の快進撃によって、シチリア島の諸都市はローマに反乱を起こし始めたが、ローマは軍団を派遣し、これを鎮圧し、(シラクサの包囲戦の最中にアルキメデスが殺害された)最終的にカルタゴはシチリア島から追い払われた。
紀元前210年にローマの執政官M.ヴァレリアンが元老院に向かって述べた「一人のカルダゴ人もシチリア島に生かしてはならない」という言葉通りに、シチリア島のカルタゴ寄りの人々が多く殺された。
このあと、6世紀の間、シチリア島はローマ帝国の領土であった。僻地の田舎のような扱われ方だったが、シチリア島の農作物はローマ市にとって重要な食料供給源であった。強いてローマ化しようとはしなかったので、島はギリシャ時代の様子を多く残していた。 有名なヴェレスの悪政があったのもこの頃である。
440年、ヴァンダル族の王ゲイセリックがシチリア島を占領した。
その数十年後、東ゴート族が侵入してきたが、535年、東ローマ帝国の派遣したベルサリウス将軍によって征服された。しかし、東ゴート王国の新たな王トティラは、イタリア半島を席巻したのち、550年再びシチリア島を奪取した。
552年、彼は、またもや東ローマ帝国の派遣した将軍ナルセスによって征服され、殺された。
シチリア島は、東ローマ帝国の領土となり、662年から668年に皇帝コンスタンツ2世が暗殺されるまで、シラクサが帝国の首都であった時期もある。
その後、827年から965年に侵入してきたアラブ人によってシチリア島は征服された。イスラム教徒による支配の間には、文化的多様性と宗教的寛容さが保たれていた。
1060年から1090年に至るノルマン人の侵略に続いて、1030年に成立したノルマン・シチリア王国においてもそれは同様であった。
1194年から、神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン家によって統治され、1220年にはパレルモを自分たちの本拠地としている。
神聖ローマ帝国と教皇の紛争によって、1266年、シチリア島はアンジュー伯シャルル1世によって征服されてしまう。
1282年、フランスの役人と課税に反対する反乱に対して、「シチリアの晩鐘事件」として知られるフランスによる大虐殺が起きたのち、アラゴン王ペドロ3世がシチリア島を支配下におさめ、スペイン王による支配は1479年まで続いた。
1656年には、疫病が爆発的に蔓延し、1693年には島の東側で起きた大地震により大損害を受けている。
1713年から1720年まで、サヴォイア公がシチリア王として統治した。
1734年、オーストリア帝国のハプスブルグ家が、ブルボン家のナポリ王国と統一させ、両シチリア王国とした。
1820年と1848年に、ブルボン朝に対して、立憲政府を要求する革命運動が起きたが、どちらも失敗に終わった。
1860年、ジュゼッペ・ガリバルディの遠征によって統一されたイタリア王国にシチリア島は統合された。
1894年、イタリアの労働運動やファシストの運動が激化したため、公秩序維持緊急臨時法が制定された。
イタリア統一後の半世紀にわたる経済発展によって、イタリア北部は大きく都市化されていたが、シチリア島は、産業の発達から取り残されていた。
19世紀後半、マフィアとして知られる犯罪組織の影響力が拡大し、シチリア島にも及んでいた。
1920年代後半は、ファシスト政権によって抑圧されていた。
第二次世界大戦において、連合国によるシチリア島攻略作戦によって、解放された。
1946年、イタリアの自治州となった。
1950年から1962年にかけて、国土の再編成が行われた結果、シチリア島は少し拡張され、1950年には南部開発公庫(1950年‐1984年)から特別資金が当てられている。
1992年には、マフィアに反対する二人の治安判事が暗殺され、イタリア政界を揺るがす大事件が起きている。
都市
主要都市:パレルモ(州都)、カターニア、メッシーナ、シラクーサ、マルサーラ、トラパーニ
町:チェファル、タオルミーナ、ブロンテ地理
エトナ火山が、カターニアの近くに位置する。
北方のエオリア諸島、西方のエーガディ諸島、北西のウスティカ島、南西のペラギアン諸島は、シチリア島と同じ行政区分に属する。
なかでもオリーブとワインが特産品である。
カルタニセッタ県は、19世紀、硫黄の一大産地であったが、1950年代以降、産出量は減り続けている。交通
車:島を巡る自動車道があるが、山がちな地形のため起伏が激しい。
空:パレルモ国際空港とカターニア・フォンタナロッサ国際空港芸術
彫刻家トマッソ・ゲラシの生まれ故郷歴史
紀元前8世紀、ギリシャによる植民が開始され、紀元前734年、中心となるシラクサの他にゲラ、アクラガス、セリヌス、ヒメラ、メッシーナなどの植民都市が建設された。これらの都市は、古代ギリシャの重要な一部となっていた。ギリシャの学者として有名なエンペドクレスやアルキメデスはこの島の出身である。