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ワッハーブ派は、18世紀にアラビア半島内陸のナジュドに起こったイスラム教の 改革運動である。宗派としてはスンナ派に属するが、その下位宗派に数えられる場合もある。法学的には、イスラム法学派のうち厳格なことで知られるハンバル派に属す。
創始者はムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブ(ワッハーブ)。一般にイスラム原理主義と呼ばれて知られている復古主義・純化主義的イスラム改革運動の先駆的な運動であると評価される。
ワッハーブは、18世紀半ばに、コーランとムハンマドのスンナに戻り、イスラム教を純化することを説き、当時ナジュドで流行していた聖者崇拝、スーフィズムを激しく排撃した。ナジュドの豪族であったサウード家のムハンマド・イブン=サウードは、ワッハーブの教えを受け入れて彼を保護し、ワッハーブ派の運動を広げつつ勢力を拡大した。こうして形成されたサウード家の国家をワッハーブ王国と呼ぶが、19世紀初めにオスマン帝国と敵対してムハンマド・アリーに滅ぼされた。
その後ワッハーブ派は雌伏を余儀なくされたが、20世紀初めにサウード家のアブドゥルアズィーズ・イブン=サウード(イブン・サウード)がリヤドを奪回してからのち復興した。サウード王国がナジュドとヒジャーズを征服してサウジアラビア王国を建国すると、ワッハーブ派はアラビア半島の大部分に広がった。
ワッハーブ派は現在もサウジアラビアの国教であり、同国出身のオサーマ・ビンラーディンも元々ワッハーブ派に属する信徒であったとされる。
中央アジアのウズベキスタンなどではワッハーブ派というと特別な響きを持つ。(反政府的な態度を取る人たちにレッテル張りをし、矮小化する為にこの言葉が使われている)