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南アフリカ

南アフリカは、正式名称南アフリカ共和国 (Republiek van Suid‐Afrika) といい、アフリカ南部の。首都はプレトリア。アフリカ大陸の南端に位置する共和国である。
使用通貨はランド。公用語はアフリカーンス語英語、バンツー諸語(ズールー語、ソト語)などの11言語。
面積は122万km2 人口は4,210万人。内訳は黒人(77%)、白人(11%)、カラード(混血)(9%)、インド系(3%)。
宗教は8割りの人がキリスト教。あとは、ヒンズー教、イスラム教、他。

Afrika borwa
Republiek van Suid-Afrika
Republic of South Africa
南アフリカ共和国
(詳細) (拡大)
国のモットー: diverse people unite
公用語アフリカーンス語英語、バンツー諸語(ズ―ルー語、ソト語など)
首都 ケープタウン (立法)
プレトリア (行政)
Bloemfontein (司法)
最大の都市 ケープタウン (1991年 国勢調査)
大統領 タボ・ムベキ
面積
 - 総計
 - % 水域
世界第24位
1,219,912kmkm²
ごくわずか
人口
 - 総計 (2002年)
 - 密度
世界第26位
43,647,658
36/km²
独立
 - 日付1
イギリスより
1910年5月31日
通貨 ランド
標準時 UTC +2
国歌 Nkosi Sikelel iAfrica (God Bless Africa)
Die Stem van Suid Afrika (The Call of South Africa)
CcTLD.ZA
国際電話番号27
(1) 南アフリカ連邦として成立。1961年5月31日に現在の名称南アフリカ共和国に変更。

Table of contents
1 歴史
2 経済
3 気候
4 南アフリカ共和国におけるエイズの状況
5 関連項目
6 外部リンク

歴史

紀元前数千年ごろ、狩猟民族のサン人(ブッシュマン)と、牧畜民族のコイコイ人(ホッテントット(愚か者の意))が住んでいた。また、300~900年代には、赤道に近い方に住んでいたバンツー系諸民族が南に移動し、現在の南アフリカに住むようになる。

15世紀になると、バーソロミュー・ディアスが南アフリカ南端、喜望峰を発見。

1652年にオランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックがやってきて中継基地とした。喜望峰は航海上の重要な拠点として注目されたからである。以後、オランダ移民は増え、ケープ植民地となった。オランダ移民のボーア人(Boer アフリカーンス語読みでブール人とも呼ばれるが、以下ボーア人で統一)の領地拡大とともに原住民との争いも起きた。一方、彼らや奴隷との混血も進んだ。

18世紀の終わり頃になるとダイヤモンドの鉱脈を狙って、イギリス人がやってきてオランダ人の領地を奪っていった。もともとあった白人と原住民との対立だけでなくボーア人とイギリス人も対立する。

19世紀に入ってオランダからイギリスへ正式に譲渡され、イギリス人の移民が大量に行われる。英語が公用語になる、イギリスの司法制度が持ち込まれるなどイギリスの影響が強まる。それとともに、英語がわからないボーア人は、二等国民として差別される。自らをアフリカーナーと呼ぶようになる(以下ボーア人をアフリカーナーとする)。奴隷労働が廃止されるも、それに頼っていたアフリカーナーの農業主は反発。グレートトレックと呼ばれる移動を開始する。バンツー系民族と戦いながら内陸部へと進み国を建設する。しかし、それらも全てイギリスの手に落ちる。

1910年に、4州からなる南アフリカ連邦が成立し、イギリスの領地ながら自治を確立する。その一年後の1911年に、鉱山における白人・黒人間の職種区分と人数比を全国的規模で一般化する、白人労働者保護のための最初の人種差別法、鉱山・労働法制定される。それからも人種差別法はいくつも制定される。

そして、1948年に政権を握った国民党(アフリカーナーの農民や都市のプアー・ホワイトを基盤とする政党政党)は、アパルトヘイト政策を本格的に進めていくようになる。国連の抗議やアフリカ人民評議会などの団体の抵抗などがあるもののアパルトヘイト政策をやめることはなかく、むしろ反発した。(この背景には、ボーア戦争トラウマとも言うべき 諸外国への根強い不信感が指摘されている。)

1961年イギリスの人種差別に対する非難を受け英連邦から脱退して国名を「南アフリカ共和国」に変え、共和国になる。一方で、日本は白人ではないにも関わらず白人として扱うという名誉白人とされ、南アフリカ政府や南アフリカ企業と深いつながりを持つことになる。

1980年代、反体制運動は激しくなり、国際的に経済制裁を受け、南アフリカ各地で反アパルトヘイト運動が高まる。1990年代になってようやくアパルトヘイト関連法の廃止、人種差別の法律の全廃を決定する。

1994年4月に、全人種参加の総選挙が実施されANCが勝利。ネルソン・マンデラ議長が大統領に就任した。副大統領に、ANCのターボ・ムベキ氏と国民党党首のデクラーク元大統領が就任。イギリス連邦と国連に復帰。新しい憲法を作るための制憲議会が始まる。1996年に新憲法を採択。国民党は政権から離脱した。
アパルトヘイトがなくなって21世紀になっても、裕福な白人、貧乏な有色人種という構図は変わらないままである。貧富の差は激しいままで失業率は30%ほどあり、ほとんどが黒人。また、エイズが大変流行っており、アフリカのエイズの流行の中心になっている。貧困がその理由と見られている。

犯罪率も高く、多くの右翼テロリスト組織も活動していると言われている。2004年春に3度目となる総選挙実施予定。

南アフリカ共和国年表も参照せよ。

経済

主要産業

農業は畜業、とうもろこし、柑橘類、その他の果物、小麦砂糖、羊毛、皮革類。
鉱業はダイヤモンドプラチナウラン、鉄鉱石、石炭クロムマンガン石綿
工業は食品、製鉄、化学、繊維、自動車等。豊富な鉱物資源を誇り、特に金は世界の産出量の半分を占める。この豊富な産金力を背景にクルーガーランド金貨を発行していたが、現在は限定品としてのみ僅かに販売されている。

気候

夏期は10月から3月、冬期は5月から8月である。地域による差はあるのだが、一年を通じて気候は比較的温暖で日照時間が長い。
しかし、海岸部以外は高地なため同緯度の国に比べやや気温は低い。国全体の平均気温は、冬が0度から15度、夏が20から40度と差が大きい。内陸高地の冬の気温は0度以下になることもあり、ドラケンスベルク山脈のような高い山の山頂では降雪もある。東部の海岸は高度も低く、暖流のモザンビーク海流が流れているために暖かい。西部の海岸は寒流のベンゲラ海流の影響を受けて気温はそれほど上がらない。
雨季は11月から3月。東と西で雨の降り方が大きく違う。東部は季節風の影響で夏に雨が降るが、南西の海岸はいわゆる地中海岸気候で、移動性低気圧により冬に雨が多い。降雨量は東側から西側に行くにしたがって少なくなる。
南半球なので北に行くほど暑くなりそうだが、内陸部は高原地帯であるためそれほど暑くはならない。

南アフリカ共和国におけるエイズの状況

南アフリカ共和国のエイズ感染率が成人の約20%(1999年)と大変に高い。感染は成人は性交渉による感染が多いとされている。子供は母親から胎児の時にうつされていることが多い。しかし、最近医療現場での注射針の使い回しや輸血ではないかという説が出ている。

関連項目

  • 南アフリカ関係記事の一覧

外部リンク


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