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先天的・身体的・生物学的性別を示すセックス(Sex)に対して、後天的・社会的・文化的性別のことをジェンダー(Gender)という。
現代で言うジェンダー論の研究やフェミニズム運動の中で、人間に生まれながらにして存在する生物学的な性差と、後天的な環境要因により構築される社会的・文化的な性差とを区別する必要が叫ばれるようになった。
その際に、生物学的な性を従来通り「性(Sex)」と呼ぶことにし、それとは区別されるぺき文化的な性を指す言葉として新たに「文化的性(Gender)」の言葉が用いられるようになった。
なお、元来はGenderとはラテン語族などに見られる名詞の性を指す言葉である。
しかし、これをもってジェンダーのあり方を既存のままにおくことの正当性は決して自明ではないので、その是非についての論争が行われている。
ジェンダーは、性別に応じて一定の権利や義務や選択肢や制限を与えるという形で形成されている部分が大きい。
たとえば、「男の子は何々をしてはいけない/しなければならない」「女の子は……」とは子どもの教育のために良く用いられる台詞である。また、女子の進学制限など、
ジェンダーを無条件に肯定することは個人の自由や権利を過剰に制限し、可能性を狭めてしまう恐れがある。
一方、ジェンダーを、それが制約となっていると言うだけの理由で無条件に否定することは文化を破壊してしまう恐れがある。先人の貴重な遺産であるそれぞれの社会の文化は、多かれ少なかれジェンダーのあり方に依存して構築されている。そのため、個人に科せられた制約を解放しようとしてジェンダーのあり方を改変、あるいはジェンダーを破壊すると、文化もまた改変・破壊されてしまう。
また、ジェンダーによる制限は単に外からの圧力として存在するのではなく、個人の精神の中に内面化されて存在する部分もあるので、人権を名目にジェンダーのあり方を変えようとしても、制限を受けている当事者がそれを望まないというケースもある。イスラム教の女性が「その美しいところ」を見せることを禁じる戒律や、極端な例ではアラブ・アフリカの一部に見られる女性器切除の習慣は、未だ少なからぬ現地女性により支持されている。
このような事情から、人権や自由を重んじてジェンダーをことごとく否定しようとする者、逆に文化と秩序を重んじて個人の自由が制限されるのは当然と考える者、その両極端の間に、あらゆる過激な意見や穏健な意見が存在する。そして、それらの論者によって長くに渡る論争が繰り広げられてきている。
言葉の由来
古くはこの2つの「性別」はしばしば混同されていた。例えば、女性は生まれながらにして家事に向いた性質を持っていると見なされることが多かった。論争
ジェンダー、つまり「文化的に形作られ、子どもたちに暗に明に教育され、構築されていく性差」というものは、文化人類学者による調査の行われたことのある範囲では、あらゆる文化に存在する。また、歴史学者による調査の範囲内では、過去のあらゆる文化にもジェンダーは存在した。