|
|
最初期には、予備課程を担当していたヨハネス・イッテン(Johannes Itten; 1888-1967)の考え方もあり、合理主義的なものと表現主義(神秘主義・精神主義)的(芸術的・手工業的)なものが、混合された教育が行われた。
その後、ワルター・グロピウスは、 テオ・ファン・ドースブルフ(Theo van Doesburg; 1883-1931)によるデ・ステイル(De Stijl)の、より合理主義的・機能主義的な考え方の影響を受けた。そのこともあり、ワルター・グロピウスとヨハネス・イッテンとの間に対立が生じ、ヨハネス・イッテンがバウハウスを去り、後継者として、モホリ=ナジ(モホリ=ナギ)(Laszlo Moholy-Nagy; 1895-1946)が予備課程を担当することとなった。この結果、合理主義・機能主義(工業デザインや大量生産に合致するような方向)が、バウハウスの中心的な傾向となっていった。
バウハウスは、1925年にデッサウ、1932年にベルリンに移転し、1933年には、ナチスにより閉鎖された。
バウハウス叢書の刊行も含めて、後世の芸術・思想・教育方法等に与えた影響は、計り知れない。
他に、バウハウスで教鞭をとった者として、リオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger; 1871-1956)、カンディンスキー(Wassily Kandinsky; 1866-1944)、クレー(Paul Klee; 1879-1940)、ヨゼフ・アルバース(Josef Albers; 1888-1976)、ヘルベルト・バイヤー(Herbert Bayer; 1900-1985)、オスカー・シュレンマー(Oskar Schlemmer; 1888-1943)などがいる。
なお、モホリ=ナジ(モホリ=ナギ)は、亡命先のアメリカ・シカゴにニュー・バウハウスを設立している(1937年から1939年まで)。
(参考)校長