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ソクラテス (Sokrates、紀元前469年頃-紀元前399年)は古代ギリシャの哲学者である。
| Table of contents |
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2 その死 3 思想 4 ソクラテス問題 |
戦争に際しての出征を除き、生涯のほとんどをアテナイに暮らした。青年期には自然科学に興味を持ったとの説もあるが、晩年は倫理や徳を追求する哲学者としての生活に専念した。
父は彫刻家ないし石工、母は助産婦とされる。クサンティペーを妻とし、3人の子があった。クサンティペーだけでなくミルトを妻としたことがあるという説もある。この場合、2人の子供はミルトとの間にできたものとされるが、結婚の順序、時期などについては専門家の間でも合意が得られていない。
ソクラテスは当時賢人と呼ばれていた人々を次々にたずね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」、を知るために対話を行った。しかし、ソクラテスのこの行動は、結局相手が「知っていると言っていることを、実は知らないのだ」、ということを暴くことになった。相手は論破され恥をかかされたとしてソクラテスを憎むようになった。このため、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」かどで公開裁判にかけられることになった。
ソクラテスは自身の弁明を行い、自説を曲げたり、自分の行為を反省したりすることを決してせず、追放も拒否し、結果的に死刑を言い渡される。逃亡・亡命も勧められたが、これを拒否。
毒ニンジンをあおり、刑死する。この顛末は弟子であるプラトンの著作『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』に詳しく書かれている。
ソクラテスはアポロンの宣託を通じてもっとも知恵のある者とされた。ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。また一般に、ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける形で哲学を展開する。但し、ソクラテスは対話の中でしばしば様々な事柄に関する知識を持っており、その知識に自信を持っているように思える節もある。また、ソクラテスは、部分的には無知を装っているとする見方もある。
彼の最も重視した概念は、よい生き方としての徳(アレテー)である。また、徳を実践する者の人生は幸福であるとも主張した。
ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、今日ではその生涯、思想共に、他の著作家の作品を通して窺い知ることができるのみである。これは「ソクラテス問題」として知られる一連の問題を発生させている。
同時代の作家の内、劇作家・詩人のアリストファネスは戯曲『雲』においてギリシャのソフィストたちを揶揄し、その筆頭としてソクラテスを挙げている。ここではソクラテスの言動は、揶揄のために誇張されていると考えられる。(同時にそれが全くのでっちあげであれば揶揄としての効果を持たないことから、何らかの真実を含んでいるとも考えられる。)
ソクラテスの弟子の一人、クセノポンは『ソクラテスの思い出』などソクラテスに関する文章を記しており、今日まで比較的よく保存されている。但し、クセノポンの描くソクラテスは通俗的で、哲学者としての力量を捕らえきれていないとの理解が一般的である。
同じくソクラテスの弟子であるプラトンの記した一連の対話篇には、ソクラテスが頻繁に登場する。しかしながら、特にメノン以降のソクラテスはプラトンの思想を表現するための人物として利用されている感がある。(前期対話篇についてはその限りではない。)
他の弟子による文章の一部や、プラトンの弟子にあたるアリストテレスによる記述をはじめ後世の著作家による記述も残っている。
生い立ち
その死
思想
ソクラテス問題