東ドイツが建設した、東ドイツの中にある西ベルリンへの東ドイツ国民の流出を阻止するためのコンクリートの壁。
1961年8月13日に東ドイツが東西ベルリン間の68の門を閉鎖したことに始まり、これがベルリンの壁に発展した。1989年11月9日、東西ドイツの国境検問所での市民の通行を自由化する法律の成立・施行を受け、この法律を世間に公開したところ、ベルリンの壁に集った東ベルリン市民の手によって崩壊した。