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コンスタンティノポリスの司教ネストリオスにより説かれ、431年、エフェソ公会議において異端として排斥された。
カトリック・東方正教会・プロテスタント等、キリスト教主流派では、ネストリウス派は異端とされる。しかし、プロテスタント教会の一部の原理主義的教派では、カトリック教会の聖母崇敬への反発から、ネストリウス派を支持する動きが見られる。
教義
キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考える。それゆえ、人性においてキリストを生んだマリアが神の母(テオトコス:Θεοτοκος)であることを否定する。
歴史
アレクサンドリア学派出身のアレクサンドリア総大司教キュロスとアンティオケア学派出身のネストリウスの間での対立から始まる。ネストリウスは、それまでの古代教父らが使用していたマリアに対する称号「神の母(Θεοτοκος:神θεοςを生む者τοκος)」を否定し、マリアは「クリストトコス(Χριστοτόκος:キリストΧριστοςを生む者τοκος)」であると説いた。その理由は、キリストは神性と人性において2つ位格(ヒュポスタシス:υποστασις)であり、マリアはあくまで人間的位格(人格)を生んだに過ぎないとした。一方、キュロスは、キリストの本性(フシス:φυσις)は神性と人性とに区別されるが、位格としては唯一である(位格的結合:hypostatic union, υπόστασιν ένωση)と唱えて反論した。ネストリウスはエフェソ公会議への出席を拒否。さらに、彼が公会議で破門された後、ネストリウス派は498年セレウキア・クテシフォンに新しい総大司教を立て、現在でもアッシリア地域に点在する。
さらにマニ教と習合し唐に伝わり、景教と呼ばれた。 唐の王朝は景教を保護したため、この時代は盛んであったが、唐時代以降は消滅した。 景教の唐での拠点は大秦寺であった。